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1997 10
マンスリーレポート
検査部門、第二段階へ
 マラリアで瀕死の少年に、徹夜の輸血要―しかし、血液がない。休暇中の女性スタッフは、危険を冒して深夜のプノンペンを献血に走った…。噂を聞き、カンボジア全土から一縷の希望を抱いて訪れる病人たち。患者第一主義に徹し、一丸となって献身的に尽くす病院スタッフたち。
 皆さまからお寄せいただいた寄付は、日々数百人を越える患者を救い、苦しみを癒しています。
 総合的な医療・看護教育プログラムの整備が急務となっています。このため、現在、ウィークデーには毎日午後に時間をとって、教育的講義、ケーススタデイ、個別指導、臨床研究、そして語学授業などを行っています。

 診療部門は今月も順調に発展を続け、多様な病気の方々が訪れました。当病院の高い医療技術、完全無料診療、そしてスタッフの心のこもった対応に、患者や家族からの感謝の声が絶えません。

 現在、21名のカンボジア人医師と34名の看護婦が勤務しています。研修プログラムも、順調に進行しています。医師の研修プログラムは体系的に整えられており、基本的な生理学や解剖学から始まって、臨床例へと進んでゆきます。特に力を入れているのは、病歴の問診と診断、そして費用効果のよい合理的な検査と処方です。一方看護面で重点をおいているのは、患者の容態変化の観察と解釈、効率よく診察順を決めること、そして食事療法の正確な実践です。当病院の献立は、カンボジアの他病院で採用されているものよりも複雑なことが多いからです。

 病院の各部署も、それぞれに成長しています。超音波診断装置を導入したおかげで、内臓や骨盤内疾患の診断能力が画期的にアップしました。また、以前に寄付していただいた麻酔機は、ニュージーランドから応援に駆けつけてくれたゲーリー・ファース技師が調整してくださり、稼働できる状態になりました。ロンドンのハマースミス病院から赴任されてきた麻酔学教授であるデビッド・ハリス医師は、麻酔部門を率いてくださることになりました。彼は、教育や研究に幅広い経験を重ね、数多くの先進国および第三世界諸国において実績を積まれています。当地に6 カ月間滞在される予定です。

 10月には、のべ5,025 人の外来患者が診察に訪れました。入院患者は38 名です。

 検査部門は、第二段階に入ろうとしています。まもなく、多種類の検査を新たに実施できるようになります。1 カ月以内に、病院内でのHIV 、肝炎、梅毒の生化学検査や血清検査が可能になるでしょう。

 多くの方々や組織から、引き続き寄付金が寄せられています。サンフランシスコ在住のウォルター・コトコウスキー氏は、全米病院補助製造者協会や非政府組織との関係を着実に強化しています。まもなく、ほとんどの所要物資が、大幅なディスカウントで入荷できるようになるでしょう。図書室にも、諸方面から書籍の寄付が続々と届いています。特に、ボストンの前医学図書館司書であったゲール・コーガン氏は、すでに引退されていますが、多くの本や雑誌の入手に便宜を図ってくださり、また専門的助言を与えてくださっています。

 今回が、私にとって最後の病院レポートとなります。当初からの予定どおり、11月初めから、キャメロン・ギフォード医師が、病院長職を引き継ぎます。キャメロン医師は、私の親友であり、献身的な医師であり、また優れた教育者でもあります。彼は、救急治療室、入院病棟、そして研修プログラムの企画運営の中心になって尽力してくれました。きっと、この病院を素晴らしく優秀な医療および外科治療センターとして発展させてくれることでしょう。

 私は、妻のヘレン・オグル医師、3 人の子どもとともに、パプア・ニューギニアのポート・モレスビーという所に戻ります。家族全員、カンボジアでの滞在を心から楽しむことができました。この1 年間が、私のこれまでの医師としてのキャリアの中でも、白眉だったと思っています。資金的にめどがつけば、1999 年初頭にはシアヌーク病院に復帰し、私は研究所の所長として、また妻は組織病理学研究所の設立に、それぞれ微力を尽くせればと念願している次第です。この病院をカンボジアの貧民たちの希望の灯火とすべく、私たちが尽くしてこられたのも、皆様の温かいご支援と励ましがあったからこそです。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

患者の物語
サイさん
 肺炎で重体に陥り、救急治療室に運ばれてきたサイは、19歳の少女でした。彼女は、ひどい貧血(酸素を身体に運ぶための十分な赤血球がない状態)も患っており、命をとりとめるには繰り返し輸血をしなければなりませんでした。

 血液検査の結果、白血病(血液のガン)の疑いが生じたのですが、カンボジアでは治療方法がありません。彼女の母親が語るには、ここに来るまで他の病院を4カ所巡り、それぞれで輸血を受けたが、白血病でどうせ死ぬからと病院を追い出されてきたそうです。私たちも輸血と共に、精密な血液検査を実施したところ、珍しい種類の貧血「自己免疫性ヘモグロビン欠乏症」である疑いが濃厚になりました。これは、彼女自身の体が、ビタミン欠乏症と相まって、自らの血液を破壊してしまうという病気でした。

 適切な処置(コルチコステロイド投与)を施したところ、12 時間後には自らの血液を破壊するという現象が消えました。そして正しいビタミン補充をしたところ、血液検査の数値も正常に戻ったのでした。その後の血液検査では異常がすっかり消えており、肺炎も抗生物質によって治癒しました。ただ残念なことは、病状が最も重かったときに起こした脳出血のために、左半身にマヒが残っていたのです。これが判明したときには、みなショックを受けていましたが、健常部位の強化とともに、サイはハードなリハビリに懸命に取り組みはじめました。そして、彼女を地雷犠牲者のリハビリ訓練を行っている施設に移送することにしました。1 カ月にわたる理学療法の結果、彼女は見事回復し、感謝の気持ちを伝えたいと、1 人で歩いて当病院を訪れたのです。

サンボさん
 サンボは、地方から出てきた16 歳の少年で、重症のマラリアに罹っていました。入院した日の夕方には、夜通し輸血をしなければ命の危ない状態でした。しかし、彼に輸血できる血液型は、国立血液銀行にもないとのこと。7 名の病院スタッフがその夕方血液銀行に行って検査を受けましたが、輸血できる型の人はいません。この時点で、すでに真夜中の12 時を過ぎていました。ようやく、この日休日であった2 人の病院女性スタッフが輸血可能な血液型であることが判明し、彼女たちはただちに血液銀行に駆けつけてくれたのです。この2 人の女性の献身と勇気(プノンペンは夜出歩くことは非常に危険)が、気が気でなかった関係者にどれほど大きな希望を与えてくれたことでしょう。無事輸血は成功して生命の危機を脱したサンボは、5 日後、歩いて退院できるまでに回復したのでした。
スタッフの横顔
ソチェアさん
 ソチェアは、機器管理主任を務めています。彼を採用したのは4 カ月前でした。当病院の趣旨に共鳴し、外資会社での優れた地位と輝かしい未来をなげうって応募してきたのです。彼は、複雑多岐にわたる備品の棚卸しや保管の組織化、管理に見事な手腕を発揮してくれています。特に、病院には第2 ビルが完成するまで保管用スペースは非常に少ないので、彼の活躍は本当に助かっています。  ソチェアの生い立ちは、感動的です。7歳の時、悪名高いクメール・ルージュ政権が崩壊した混乱の中で、家族全員と生き別れたのでした。今日まで、家族の消息は全くわからないままです。

 ベトナム軍の侵攻直後に、彼がプノンペンの道ばたで迷い、泣き叫んでいるところを1人の女性に拾われました。女性はソチェアを育て、自分の家族にお世話をさせ、彼を再びプノンペンに連れてきて教育を受けさせ、さらに結婚までお世話したのでした。この女性の高貴な志と人格が、ソチェアの中に鮮やかにいきづいています。

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