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1998 2
マンスリーレポート
外科手術室、オープン!
新設された手術室では、すでに53人の患者が救われました。最初の大手術は、腸チフスに伴う発熱のために生じた腸穿孔を修復するものでした。また、数人の地雷犠牲者には、義足をつけるための修復手術が施されました。さらに、顔面腫瘍の患者に対し、当病院と隣接する市営病院の眼科、外科スタッフチームによる初の共同手術が急きょ行われました。

当病院では、患者の治療にあたって、内科医チームと外科医チームとの仲の良さは驚くほどで、見事な団結力を見せてくれています。

カンボジア人麻酔医のロング氏が、2月から外科チームに加入してくれました。彼は、プノンペンでフランス人看護婦を対象にした研修に参加する前に、バタンバン州で7年間の臨床経験を積まれています。

患者の物語
サン・スデンさん
 サン・スデンさんは60 歳の米作農夫で、慢性的に悪化している咳に苦しみ、地方から来院されました。ここ4 カ月間は、呼吸困難、体重減少、発熱そして絶え間ない胸の鈍痛に悩まされていたそうです。以前に地元の病院を訪れて治療を受けたらしいのですが、一時楽になっただけで、すぐに元に戻ってしまったとのことでした。
 来院時、彼の右肺は機能しておらず、胸腔に感染膿液がほぼいっぱいに充満していました。胸に通した管からこの液を排出した後、緩い吸引によって肺を拡張してゆきました。検査の結果、結核であることが判明しました。現在彼は、適切な投薬によって、順調に回復しています。おそらく、以前とほぼ変わらぬ農夫としての仕事に復帰できるはずです。

 「この病院には、心から感謝しています。これまでに全財産を費やして治療を受けてきたのに、よくなりませんでした。私は、1 日にわずか2千リール(約60 セント)しか稼げないのです」

 彼の妻のライ・ホウンさんは、「医師や看護婦のみなさんは、毎日午前と午後に回診に来てくださり、具合はいかがですか、と聞いてくれます。夫がとても貧しくても、全く関係なく…」と感激されていました。


チャン・ナリンさん
 チャン・ナリンさんは、左脚に負った傷から慢性的に排膿する状態で、病院を訪れた16 歳の少年でした。5 年前、牛車から落下し、左脚が車輪に轢かれ、骨と柔組織が損傷を受けたのでした。激しい痛みは伝統的な薬で処置されたのでしたが、治まったのは1 、2週間だけで、また傷口が開いてきたのです。
 彼の家は非常に貧しかったので、どの病院でも外科手術を受けることができず、忍耐強く当病院の外科手術室と外科病棟の開設を待って、再び訪れたのでした。ナリンさんは、8 人兄弟の4 番目で、弟や妹たちの面倒をみなければなりません。入院中、彼の祖母が食べ物の差し入れをもってきて、看病を手伝ってくれました。微笑みながら、「ナリンが激痛を訴えることに、とても心を痛めていたんです」と語っていました。

 「これほど献身的に素晴らしい治療をしていただいて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と喜んでいました。
 22 歳になる彼のお姉さんは、「この病院のお医者様は、信頼できる方々で、うれしく思います。先生方は、患者さんたちと素晴らしい関係を築いています。このようなことは、これまで一度も見たことがありません」


チハイ・チホーンさん
 14年前、チハイ・チホーンさんは地雷を踏んで、片脚を膝から失いました。ただちに地元の病院に運ばれ、数回の手術を受けました。結果、膝上部から切断し、義足をつけることになったのです。
 3年前、切断した側の脚に激痛を覚えるようになり、見ると骨が皮膚から露出していたとのこと。検査の結果、切断面周囲の筋肉が収縮したために骨が露出することになり、そこに体重がかかることによって激痛が生じていたのです。

 さっそく、骨を短縮し、その端面を筋肉で保護し被覆する手術を施しました。一週間後には抜糸され、まもなく新しい義足の装着ができると思います。彼はインタビューに答えて、
 「あまりの激痛に、一睡もできない夜も多く、義足をつけて歩くこともできなくなっていました。手術を受けられて、本当に幸せです。早く妻子を養うために働けるようになりたいです」

スタッフの横顔
バンデイ・ファールさん
 バンデイさんは、内科および外科病棟担当の事務主任です。開院当初より、彼は病棟における記録、医療形式そしてX 線などにいたるまで、多くの事務作業をまとめる方法を、率先して模索してきました。

 バンデイさんの父親はポル・ポト時代に粛清されました。彼の夢の一つは、長いカンボジア戦争中に別離せざるを得なかった家族を助けることでした。彼が英語の勉強を志したのも、家族を経済的に支援するためだったといいます。ACE エージェンシーより奨学金を受けたバンデイさんは、見事にカンボジアの最高の学校の一つで英語を学ぶことができたのでした。
 バンデイさんの、他人に対するとても親しみやすい態度、率先垂範力、そして他人を助けたいという意志は、全スタッフが高く評価しており、そうした中で彼は両病棟に関わる膨大な仕事量をこなしています。

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