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1998 7
マンスリーレポート
内科医研修を強化
めざましい成長を遂げたこの2年間

 スタッフおよび支援者の方々の献身的な尽力によって、シアヌーク病院は、過去1年間に予想を大きく上回る成長を遂げることができました。
 スタッフ数はほとんど変わらない状態のまま、1998 年度にはのべ10 万人もの患者が診療を受けています。それは、すべての部署において、さまざまな新しい技術や能力が開発され、適用できるようになったことを意味しています。この開院2 年目を通じて、たゆまず継続してきた実地研修の画期的な成果だといえるでしょう。
 外科部がスタートしたこの年は、535 件にのぼる複雑で重症の外科治療が実施され、これも当初の予想を遙かに凌駕しています。しかしこの状況はまた、カンボジア人外科スタッフを実地訓練する貴重な機会ともなりました。彼らは感謝の心と情熱をもって、この試練に立ち向かってくれました。


総患者の50%が地方から来院

 今月度は7,231人の患者が来院しましたが、その半分が地方から訪れており、さらにそのうちの3 分の2 が病院に来るのに3 時間から10 時間かけています。これはとりもなおさず、無料で信頼性の高い治療が受けられるという当病院の評判が、それまで治療を受けられなかった多くの患者に人伝てに広がっている証明だといえるでしょう。また、スタッフが地方の外科医療の状況視察に訪れた際に、当病院に来れば救われる患者たちの診療を、その場で予定に入れることができています。
 この月は、60人が内科病棟、49名が外科病棟に入院しました。患者たちは、病院スタッフが惜しみなく治療に捧げている時間や、彼らが理解できるよう治療方法などを懇切に説明する姿に対して、深い感謝の意を表しています。


内科医研修を強化
キャメロン・ギフォード医師が、内科医教育を充実

 キャメロン・ギフォード医師は、すでに輝かしい業績と成功を収めていた米ボストン在住の内科医でした。その現状をなげうち、シアヌーク病院の草創チームの一員として重要な任務を果たすべく、妻と3 人の子供を連れてカンボジアを訪れたのは、1996 年のこと。卓越した知識、使命感、そしてエネルギーを発揮し、彼はこの開院2 年目を先頭に立って牽引してきました。この間、数々の一里塚を達成しています。患者数は月7,000 人を越えるようになり、手術室や外科病棟がオープン、薬局や麻酔部はカンボジア人スタッフによる管理運営が実現し、HIV/エイズ部門も発足しました。いくつかの外来患者用専門クリニックも1998 年にオープンしています。スタッフの能力も著しい進歩を見せ、内科病棟においてもベッド数が11 にまで増え、多くの重症患者を連日手当てできるようになりました。さらには、カンボジア保健省、世界保健機構、そして地方自治体との絆も深く結ばれ、こうした組織との関係がよき方向に発展してきています。
 キャメロン医師のここ最近の念願は、内科医を対象にした研修プログラムをさらに充実させることでした。
 その実現のため、グラハム・ガムリー医師が、病院の上級役員としての彼の任務を代行してくれることになりました。キャメロン医師は、内科医長としてすばらしいリーダーシップを発揮し、内科病棟、救急治療室、並びに外来クリニック、薬局、検査室そしてHIV 部門を監督しています。

 彼はインタビューに答えて、
 「内科医教育は、シアヌーク病院の重要なテーマの一つになっています。我々の知識や技術を当地の内科医に伝えていくことが、当病院がカンボジアの国に永続的に残せる財産になると確信しています」

と力強く語っています。キャメロン医師の、スタッフ教育や患者治療に対する情熱、そして実行力を伴った強い使命感に、敬意を表したいと思います。


世界エイズデーの訪問者
政府および国連幹部が、世界エイズデーに当病院を視察

 カンボジアにおけるHIV/エイズ患者の治療に貢献している組織を支援するため、政府および国連の派遣団が、世界エイズデーに当病院を訪れました。保健省技術部長のエン・ホウト氏、世界銀行のピーター・ゴドウィン氏、ユニセフ代表のレオナード・デヴォ氏、国立エイズ・皮膚科・STD センターのチェア・チャン・コサル・モニー医師が病院を視察、患者たちに贈り物を手渡され、そしてHIV 治療についての会議に参席されました。同行されていたのは、ポップ歌手のオーク・ボリーさん、メン・ソシーバンさんです。

 会談では、HIV に併発することが多い重症疾患の治療、個人や家族に対するカウンセリングの大切さ、そして病院スタッフをHIV 感染から護るための注意事項、などがテーマとなりました。
 特に大きな関心が寄せられたのは、家族の支援がないエイズ患者の治療のために、週末や休日に自らの時間を割いてボランティア団体で奉仕している人々の話題でした。

 また、HIV 支援グループの働きが、注目されました。このグループは、昨年を通じて、HIV 陽性の患者たち自身が、自らの経験に基づいて人々に対する予防教育に協力し、また広報担当として活躍してくれるよう、彼らを激励し、また必要な感情面での支えになってきました。さらに、エイズ患者に対する社会的支援を強化するためにも、尽力しています。
 これら二つのグループのメンバーのうちの数人は、重症の患者宅を訪問し、食事を与え、手当てをするホーム・ケアー・チームのフルタイムスタッフに選ばれています。世界銀行の支援を受けているこのパイロットプログラムは大きな成果をあげており、彼らの努力が広く活かされてゆくためにも、今後も財政支援の継続が要請されました。


海外からの特別ゲスト

  適切なローテーションを組んで内科および外科研修を実施し、また特殊外科の治療を患者が受けられるようにすべく、海外からの内科医および支援スタッフの短期招聘が必要になっています。1998 年度に当病院に応援に駆けつけてくださった特別スタッフのご芳名を以下に掲げ、この場をお借りして心からの敬意と感謝を捧げたいと存じます。

  • ダニエラ・ブラオヒャー氏 (物理療法士、イタリア・ミラノ)
  • マイク・ブラウン医師 (救急内科医、コロラド州デンバー)
  • ブルース・コノリー教授 (外科、オーストラリア・シドニー)
  • ボブ・ダーカーシュ医師 (整形外科医、コロラド州デンバー)
  • ニール・ドノフー医師 (ポデイアトリスト、フィラデルフィア)
  • バジル・ファイン医師 (内科・感染疾患専門医、米)
  • マイケル・ゴールドマン医師 (家族プラクティス、アリゾナ)
  • ランジャン・グプタ医師 (外科、ロサンゼルス)
  • コーネリア・ハエナー医師 (外科医、チューリッヒ)
  • ジェニファー・ハインス医師 (内科、アトランタ)
  • アラン・メリカー医師 (一般外科医、フィリピン)
  • キャシー・メリー氏 (療法士、シドニー)
  • シェイラ・プラット氏 (臨床ソーシャル・ワーカー、ニューヨーク)
  • ベツイー・ロバーツ氏 (看護婦、フロリダ)
  • カレン・スプラーグ氏 (臨床写真家、シドニー)


    4世代にわたる外科医がシアヌーク病院に!
    豪にて永年蓄積された外科経験がいまカンボジアへ

     エリック・ゴールストン医師は、1920 年代に外科医になり、二つの世界大戦を軍医として務めあげた後、 40 年以上にわたってシドニーの主要研修病院で活躍してきました。その輝かしい職歴と祖国への功績により、オーダー・オブ・オーストラリア賞を受賞されたエリック医師が、1 月に当病院を訪問されました。訪問の初日から、その貴重な経験を当病院の外科技術に活かしたいと熱望され、また感染管理、糖尿病、HIV などの現在のカンボジアにおける医療問題についての討議にも、積極的に時間を割いてくださいました。

     ゴールストン医師は、シドニーでの後輩にあたるブルース・コノリー教授が1998 年末に1 週間当病院に滞在されたことを知り、当病院の使命に関心を抱かれたとのこと。オーストラリアで最も尊敬されている名外科医の1 人であるコノリー教授は、グラハム・ガムリー医師がシドニーで整形外科を研修していたときの指導教授でもありました。そのガムリー医師は、現在シアヌーク病院の外科部長として、3 人のカンボジア人外科医の教育に携わっており、我々はつごう1 年間のうちに4 世代にわたる外科医を目の当たりにすることになったのでした。

  • 患者の物語
    「小さな傷が、長期の重症疾患に」 カレン・ナレアクさん
     カレンさんは、高熱、右手の痛み、震え、発赤の症状を訴えて病院を訪れました。来院前に、両親が薬局で購入した薬を服用しましたが、その後2 週間にわたって熱はさらに高くなり、食欲は失せ、右手は使えなくなってしまったとのこと。 外科病棟に入院となり、指の排膿手術を実施した結果、やがて食欲が戻り、熱が引いて痛みも消えてゆきました。

     彼はインタビューに答えて、
    「わが国の多くの貧民を救済されているこの尊い病院で手当てをしていただけたのは、幸運でした。私には4 人の兄弟と3 人の姉妹がいますが、とても貧しい生活をしています。母は毎日水草をとりにいき、それを市場で売って、一日に80 セントほどを稼ぎ、10 人の家族を養っています。この病院の医師・看護婦、そしてスタッフのみなさま、本当にありがとうございました。ここに来られなければ、私の手は壊れたままで、使いものにならなくなっていたでしょう」
     彼のこの深い感謝の想いが、入院中にスタッフとの友情を生み、彼は、介護が必要な貧しい患者たちを支援するボランティアの一員になるよう要請されたのです。


    「救急処置の研修が命を救った」 イブ・チョングさん
     イブ・チョングさん(60 歳)が運ばれてきた時は、すでに衰弱が激しく、呼吸困難、胸の痛み、血のまじった咳などの症状を呈しており、何分ももたずに死亡してしまいそうな様子でした。

     救急治療室で検査した結果、肺に液体が充満しており、酸素を血液中に送れなくなっていました。胸部X線と心電図を撮ったところ、冠状動脈が閉塞して血流を阻害された結果、鬱血性心不全が生じていたことが判明。滞留している液体の排出と心臓の血流促進のための薬が投与された結果、一日で彼の様態は好転しはじめ、死の淵から回復することができたのです。
     その後、全身の精密検査が行われ、超音波エコー心電図を撮像。そして、心不全の発作を防ぐための薬が処方されましたので、かなり長く生きられることでしょう。3 日後には、彼は自力で歩いて退院していったのです。ここ数カ月で最高の体調だと感謝し、愛する妻や子供たちに囲まれる幸せに浸りながら……。

     チョングさんの50 歳になる妻は、わずかな給料で防衛省の兵士として働いています。チョングさんは、微笑みながら、
     「私を厚く手当てしてくださり、カンボジアの貧困民の救済に尽くされているこの病院のみなさまに、心から感謝いたします。11 しかベッドがないのに、幸運にもそのうちの一つで治療を受けることができました。スタッフの方々が、患者の生命を救うためにどれほど昼夜のないハードな毎日を送られているか、想像できないほどです」と語りました。

     退院に先だって、チョングさんのご家族は、病院の全スタッフを訪れ、御礼を述べてゆかれました。
     この症例は、診療機関がないがために、6 カ月もの間深刻な症状を無視していたことの恐ろしさを教えています。病院を訪れたのは、絶望的な重態となってからだったのです。
     カンボジアのほとんどの病院は、酸素さえ準備されていません。これでは、チョングさんは治療が始まるまでに死亡していたでしょう。

     当病院のカンボジア人医師たちは、エコー心電図やX 線などの安価な技術を用い、重症患者へ迅速かつ質の高い検査をすることで命を救えることを学んでいます。
     そして、シアヌーク病院は、全医師がエコー心電図の分析ができるよう教育を受けた、カンボジアで唯一の病院です。
     皆さまからの寄付、ご支援によって、新しい優れた医師たちに質の高い研修と、すぐれた機器を提供できるようになっています。これが、カンボジアにおける治療水準を高めるのに大きく貢献しているのです。

    スタッフの横顔
    「傑出したリーダーシップと献身」 チュン・サボエンさん
     サボエンさんは、シアヌーク病院が1996 年12 月に開院して以来、警備・運転スタッフの一員として働いてきました。それまで警備員は未経験でしたが、持ち前の向上心で、この国の貧しい人々のために尽くしたいと決心して来たのでした。

     彼は、警備員および救急車の運転手として、患者の他病院や当病院内での移送に奔走し、また寄付された機器や物資がぎっしり詰まった40 フットのコンテナをおろすなど、忙しい日々を送っています。彼は常に他人の力になれることが喜びであり、そのために何マイルもよけいに走ることも珍しくありません。
     同僚の警備員が病気などで欠勤したときには、自分の業務が終わった後に、その分のカバーを進んで申し出てくれたことも多々ありました。同僚たちも、サボエンさんの誠実さ、病気の仲間に対する思いやり、そして患者たちとの温かい心の交流を讃えています。

     特にこの数カ月、サボエンさんの責任感とリーダーシップは、めざましく向上しています。最近、彼は病院の警備主任であるキム・ビチェットさんから推薦されて、ビチェットさんが休暇で留守にしている間、警備部の日常業務を監督する任務を代行することになりました。決して自信過剰になることがなく、先輩スタッフなどのアドバイスを求めて業務を改善し、警備スタッフの士気を高めるべく努力しています。
     サボエンさんの患者、病院への貢献度は高く、その模範的な利他の姿勢は、スタッフを大きく感化しています。


    「歓迎!新カウンセラーおよび看護スタッフ」 ダニエル・グリーナウェイさん
     ダニエルさんは、1993 年にシドニーで看護学士としての学位を取得し、高度依存性および精密治療分野で4 年間の経験を積んだのち、当病院に来てくださいました。昨年、パプア・ニューギニアにて2 週間のボランティア活動をされたことがきっかけとなり、当病院の緊急治療室、集中治療室の開設と発展に、その技術を活かしてくれることになったのです。
     オーストラリアでの輝かしいキャリアを捨てて、6カ月間無給で、経験看護婦不足に悩む当病院の支援を決意してくださったダニエルさんに、深く敬意と感謝の意を表します。

    モリー・ブラックモンさん
     モリー・ブラックモンさんは、1994 年に看護学校を卒業、テレメトリー・インターメディエイト・ケア・ユニットに2 年間勤務されました。その後、ケア・ユニットの副看護マネージャーまで務められています。当病院は、1999 年後半には集中治療室を開設したいと希望しており、彼女の経験は、その計画に大きく寄与してくれることでしょう。遙々と米国アトランタから、自らの技術を活かしたいと発願してこの病院に駆けつけてくださった彼女に感謝し、心から歓迎したいと思います。

    チュン・チャントーンさん&シエン・ソザーワ・ルワットさん
     チャントーンさんは、HIV 部門において、感染前後の検査や、家族へのアドバイスなど、増え続ける仕事量を助けるためのHIV カウンセラーとして採用されました。
     ルワットさんは、1998 年末に退職した前任者の翻訳・カウンセラーの後任として採用されました。ルワットさんとチャントーンさんは、政府および在プノンペンの支援団体による研修授業をすでに受講し始めています。
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