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1998 11
マンスリーレポート
HIV国際会議にてカンボジアの惨状が話題に
ホープ派遣団が当病院スタッフを激励

 第3回ホープ・ヘルス・コーポレーション年次会議が、今年は「アジア圏エイズ蔓延阻止」をテーマに香港で開催されました。
 カンボジアはアジアの最速HIV 感染国という汚名を被り、すでに成人の2.7 %が感染しているといわれます。その意味で、カンボジアチームとしてシアヌーク病院から6 名という特に多数の出席者を得たことは適切で、他にアフリカ、オーストラリア、カナダ、中国、インド、韓国、フィリピン、そして米国からのメンバーが一堂に会しました。
 会議にはカンボジア国家エイズプログラム委員長のテイア・ファラ医師の一団がゲストとして招聘され、テイア医師は「カンボジアHIV/エイズ感染に対する病院支援および治療」、そして発展途上国における治療ジレンマについて講演。医療シンポジウムでは、ハーバードエイズ研究所のケン・マッキントッシュ医師、ボストン小児科病院のマックス・エセックス医師、南アフリカ・ソウェトエイズプロジェクトのマーク・オッテンウェラー医師など、HIV/エイズ予防及び管理分野の世界的権威による提案に対して、強力な学術的合意が確認されました。

 当病院からは、キャメロン・ギフォード内科部長と、ギリアン・ホールHIV/エイズ部長が、カンボジアでのエイズ対策について発表。劇的なスライドの上映が参加者の目を釘付けにし、家庭や社会を崩壊させてしまうこの難病の実態が明らかにされました。 香港での会議後、372 名の参加者は、引き続きフィールドワークとしてフィリピン、中国およびカンボジアの歴訪へ。
 184 名の派遣団が当病院に到着、そこから小グループに分かれ、市内の様々な施設を訪問しました。彼らは患者治療やスタッフ研修を支援し、またカンボジアにおける、膨大な医療需要のすさまじさを初めて目の当たりにしたのです。

 さらに、エイズ患者たちの自宅や、他病院の訪問も行われました。シアヌーク病院ではエイズクリニックが開かれ、HIV/エイズに伴う急性病に関する講義を実施。また、エイズ管理、外傷治療の原則についての討論や、そして5 人の外科医と麻酔医が種々のテーマで、当病院スタッフや招聘ゲストと意見を交わしました。派遣団一行は、患者治療や処置手順の開発を支援してくれました。どの団員も気さくで親しみやすく、その向学心や支援意欲の大きさには目をみはらされました。派遣団の方々と、当病院のカンボジアや外国スタッフが協力し、一つの目標に向けて団結される情景には、心動かされるものがありました。


プノンペンでの経験について 派遣団員の感想

「この国ほどの深い苦しみは見たことがない。どの人も絶望する理由をもっているが、希望もあるはずだ。彼らの物理的な要請に応える医療を支援したい」
(ニール・ドナフュー医師、フィラデルフィア)

「スタッフの慎ましさと向学心に感銘を受けた。私が教えたことよりも、もっと多くのことを教えていただいた。この病院の実務は、効率的かつ効果的な方法で、すべて患者の立場を第一に考えてなされている」
(テイム・カミングズ医師、米)

「子供たちの貧しさを目の当たりにして、いかに自分たちが恵まれているのか、そしてアメリカの豊かさを痛感させられた。毎日来院する350人の患者にとって、この病院が唯一の希望なのだろう」
(ゴードン・ファーグソン、ボストン)

「スタッフは、その医療知識、心と人間性で選ばれている。今回再訪して、彼らの教養、自信、そして研修内容の運用能力が格段に向上していることを知った。シアヌーク病院は、真実の医療に対する指針であり、道程になっていると思う」
(グラハム・オグル医師、前シアヌーク病院長)

「ここに勤務する使命を与えられたこと、そして私とご一緒に奉仕されている方々に、感謝したい。派遣団は、当病院スタッフに多くのことを授けてくれた。同じように私たちスタッフも人々に授け、知り、そして激励できるのだということを教えられた。スタッフ一同、皆さまを目標に努力したい」
(キャメロン・ギフォード、シアヌーク病院長外科学会での発表)

 当病院外科プログラムが、プノンペン大学医学部の後援により国際医学外科学会で評価されました。リカルド・デ・ラ・コスタ医師が、シアヌーク病院で行われた最初の400 件の手術の概要を説明、月々増えていく件数と、合併症の低率が出席者の注目を集めました。グラハム・ガムリー医師が、脚にできた大きな骨肉腫治療のために行われた切断手術の複雑な症例を発表、またルース・トウーテイル医師は、化学療法や放射線療法が効かない局部進行した乳ガンの治療管理について、貴重な提言を行いました。

 当病院の3名の外科研修生も会議に出席し、国際的な医療共同体の場に出て、また仲間と交流できる貴重な機会を得たことに喜びを表していました。
 病院スタッフにとって、このような会議に参加できることは栄誉であり、カンボジアにおける外科医療の発展により大きく貢献したいと願っています。


客員物理療法士

 ダニエラ・ブラウヒャー氏は、当病院における物理療法の需要を査定するために2 週間滞在し、スタッフや患者との共同作業に尽力されました。
 ダニエラ氏は、シカゴのノースウェスタン大学で物理療法を学び、9 年間にわたり小児科と整形外科、および外傷治療に従事。過去3 年間は、イタリア・ミラノの300 ベッドの整形外科病院に勤務してきました。

「ここプノンペンで患者さんやスタッフと働く機会をいただいたおかげで、物理療法士として成長できたと思います。多くの患者の病状は深刻で、スタッフの方々も、これまで物理療法の研修を受ける機会がほとんどなかったようで、私にとっては非常に困難の多い環境でした。過去13 年間のキャリアで得た技術や経験を、総動員しなければなりませんでしたから。病院のほぼあらゆる部門の患者さんにとって、運動療法は効果的です。医療一般、整形外科、四肢切断治療、そして神経治療などの分野で、患者の速やかな回復に寄与し、より早く退院できるようにするため、カンボジア人物理療法士や看護婦の育成が急務になっています」

 こうした総合的な査定業務と共に、ダニエラさんは入院病棟の看護婦に対して、療法技術の指導時間もとってくださいました。これが多くの患者の回復時間短縮という成果となることが期待されています。当病院にとって、物理療法研修を今後も体系的かつ総合的にに継続していくための貴重な財産となることでしょう。自らの2 週間の休暇を犠牲にして、その経験とエネルギーを捧げてくださったダニエラさんの意志に、謝意を表します。

患者の物語
「間一髪!奇跡的幸運で死の淵から生還」 ノップ・チュハイさん
 チュハイさんは50 歳、妻をすでに亡くしており、6人の子持ちでした。呼吸困難を訴えて、僻地の県から長時間かけて救急治療室を訪れたのです。

 彼の心電図は、著しい異常波形を示していました。やや重症の心臓病と診断されましたが、投薬治療が効果をあげ、目覚ましい回復を遂げて退院しました。ところが1 カ月後、今度は咳、呼吸困難、肺炎による発熱を呈して再来院しました。発熱のためにすでに弱っていた心臓が圧迫され、血圧は危険なレベルまで下降しています。非常に強い薬を投与しましたが、その後26 日間にわたって予断の許さない状態が続きました。非常に危険な波形が現れて3 度危篤に陥りましたが、電気ショック療法に反応、一命は取り留めました。しかし肺炎が悪化して心臓発作を起こす恐れが高まり、回復の望みも微かとなったため、気の毒でしたが、家族にもあらかじめ最悪の事態を伝えておいたのです。ところが偶然にも、ちょうどその時採用のために面接を受けていた、フランスで研修した内科医が、フランスや米国で使用されている特効薬を教えてくれました。この薬は、当病院は保有していなかったのですが、市販されていたため入手でき、これをわずかな量を投与しただけで、彼の心拍リズムは1 〜2 時間後に正常に戻ったのです! こうして激動の入院治療を終えたノップさんは、2 日後には、喜ぶ子供たちの待つ自宅に戻れたのでした。

 退院に際して、心情を尋ねられたチュハイさんは、「今日はとても気分がよく、帰宅できることが本当にうれしいです。スタッフの皆さま、本当にありがとうございました。この病院では、病気や貧しい患者に対する差別が全くありません。私を救ってくれるこのような方々がいらっしゃるということは、想像もできませんでした」
 彼が助かったのは、彼自身の忍耐、家族の愛情、そして医師や看護婦の優れた対応のたまものです。これほど高水準の緊急治療が行えるのは、カンボジアでは当病院しかありません。それはまた、スタッフが吸収し、そして継続してきた研修成果の証であるといえるでしょう。
 このような機会を与えてくださっている多くの方々の犠牲と寄付に、心から感謝申し上げる次第です。


パオ・ピダさん
 ピダさんは両脚を小児麻痺に冒されたため、18 年間にわたって歩行不能な状態が続いていました。膝で移動するしかなく、そのために彼の臀部と膝は、異常な位置で硬化し、起立したり、歩行するために伸長できなくなっていました。

 萎縮して固まっている組織を解放するための手術が必要でした。1 カ月にわたる牽引療法の結果、臀部と膝をほぼ完全に伸ばせるようになりました。やがて両脚での平衡をとれるようになったピダさんは、生まれて初めて歩行器を使って歩いたのです。ミラノから応援に来てくださっている物理療法士のダニエラ・ブラウヒャーさんも、彼に感動の第一歩を踏み出す指導ができたことをお喜びでした。
 今後は、支持器と松葉杖が必須になりますが、本人は、他方の脚にも手術を受けたいと切望しています。その後、リハビリのためにケアン・クレアンに戻りました。
 この症例も、他の支援団体との協力の成果の証であるといえるでしょう。ピダさんは普通に歩けるようにはなれませんが、起立して他人と目を合わせることができるようになったのは、彼の人生にとって劇的な進歩です。

 ピダさんの家族は、貧しい生活にも関わらず、彼のために車椅子を購入し、学校にも通わせ、さらには英語を学ぶ機会まで与えていました。
 ピダさんは、当病院で歩けるようになったこと、そして自ら受けた治療についての喜びを、熱烈に表現していました。

スタッフの横顔
デイヴィーネ・デ・グスマンさん
 手術室看護を専門とするデイヴィーネさんは、カンボジア人スタッフに自らの経験と技術を伝えたいと強く希望して、フィリピンから来訪されました。
 まだ手術室のなかった開院後の1年目は、看護チームの中核の1 人として、最初は救急治療室、その後内科病棟に配属。彼女は、自らの任務を真摯に果たすのみならず、リーダーシップの技術の研鑽に余念がありませんでした。

 そして1998 年1月に手術室がオープンしてからは、益々かけがえのない貴重な存在となっています。新しい任務の遂行、助言を求めること、方針の決定、そして素晴らしいものを模倣し、会得することへの情熱によって、彼女は当病院の中核指導スタッフの一員となりました。
 その管理能力も目覚ましい向上を遂げています。手術室スタッフを育成し、オープンした2つの手術室で、その知識と経験を駆使して、多大な貢献をしています。部下も今や10人を越え、11カ月の間に実施された460 件もの手術に立ち会ってきました。

 デイヴィーネさんの監督のもと、現在国家リーダー養成計画が始められています。この計画、および彼女が継続しているすべての業務への献身、地方スタッフの指導やカンボジア貧民のための治療に対して、心から感謝の意を捧げたいと思います。

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