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1999 2
マンスリーレポート
患者激増に対するガイドラインを作成
部署間チームが患者アクセス問題の検討に着手

 カンボジアでは、全人口の85%が農村地帯に住んでいます。この人々たちのアクセスできる医療環境が特に乏しいというのが現状です。統計によれば、全人口の半分以上が貧困にあえぎ、子供たちの40 %が栄養失調による成長不良に冒され、そして都市在住者の20 %の食事にカロリーが欠乏しています。こうした状況のもと、信頼できる治療を無料で受けられるというシアヌーク病院の評判はカンボジア全土に波及しつつあり、来院者は増大の一途を辿るばかりです。

 最善の医療を患者に提供し、カンボジアの次世代医療スタッフに臨床研修の機会を与えるという病院の使命を果たしつつ、我々は押し寄せる患者たちと病院の人的資源とのバランスをとることを常に迫られています。

 この凄まじい需要に応えながら、病院を健全に運営していくために、対応策を模索するチームが結成されました。各部門の代表者が集い、数週間にわたって、これらの目的および提案された解決策について討議を重ねました。現在実施に移されている改善方針として、次のようなものがあります。

1 日に160 〜195 人の通院患者を診察すること。ベッド数が限られているために、多くの患者は外来として通院治療を受けなければならず、これらの患者の診療を優先する必要があります。

新規患者の受付は毎日30 人に限定すること。この30 人は、午前7 時30 分に公開抽選によって決まります。この結果、くじに外れた患者たちも、出来る限り早い時間に、別の医療機関で治療を受けられる可能性が開かれました。これまでは先着順の診療だったために患者たちの来院時間がどんどん早くエスカレートして、待ち続けるという弊害が生じていましたが、この新方式によってそのような無駄も解消でき、好評を得ています。

危急を要する患者は、これまで通り優先的に救急治療の対象となります。

午前中に2 回、救急治療室の主任内科医と看護婦が待合室まで出向き、外来患者のうちで症状が重く、あるいは悪化している人がいないかどうかを確認し、彼らを優先的に診察するようにしています。

専門クリニックのオープンにより、焦点を絞った治療と、スタッフへの中身の濃い研修指導が実現。最大多数の症例に対してアドバイスできるので、質の高い治療や看護が保証されるようになります。毎週火曜日は、ボランティアの客員皮膚科医の診療日になっていますので、15 人の皮膚病患者、HIV クリニックには10 人の患者が訪れます。水曜日には15 人の患者が結核クリニックに来診します。木曜日には、午前中に20 人の糖尿病患者と15 人の皮膚病患者が訪れ、午後には救急治療室は25 人の外科患者の診療に使用されます。金曜日には、高血圧クリニックに25 人が来院し、土曜日には20 人の糖尿病患者が通院治療に訪れます。

一般外来の待合室に、可搬型の仕切を設置しました。プライバシーを確保できるので医師と患者との交流が深まり、より密度の高い個人診療ができるようになりました。


2月度ニュースダイジェスト

 2月の患者数は7,022 人、うち47 人が内科病棟に入院しました。189 人は外科患者で、そのうち115 人は地元への出張診療による患者でした。63 人が外科手術を受けました。


医師およびICU看護婦に対する研修スポンサー急募
皆さまのスタッフ研修支援により、カンボジアの医療の歴史が変わる

 1975 〜79年のクメール・ルージュによる大虐殺の結果、カンボジアの医療分野はほぼ壊滅状態に陥りました。以来、この国は医療の復興と医療従事者の育成に懸命の努力を尽くしてきましたが、今なお道のりは遠く、現在でも医師は30,000人に1人の割合でしか存在しません。
 シアヌーク病院は、医療専門家の育成をその使命の一つとして掲げています。しかし、この任務は、皆さまの継続的支援なくして、まっとうすることは不可能です。

 スタッフ研修を支援していただくことで、この国の医療史を変えることができます。$6,000 あればカンボジア人内科医の1 年分の給料を賄え、臨床での診療、治療、患者観察の研修を受けさせ、外国人スタッフからの経験や知識の伝達も行えるのです。当病院の医師および看護婦はみな、医療教育を完了しており、それをさらに継続したいと希望しています。彼らに必要なのは、経験豊富な臨床医師の下で働く機会を得ることなのです。

 ICU 看護婦のモリー・ブラックモンさんが、昨月当病院の新スタッフとして参加されました。彼女の加入によって、高度な技術を要するこの分野に携わるカンボジア人看護婦たちに、大変貴重な研修の機会が与えられています。$3,000 で1 人のカンボジア人看護婦がモリーさんの下で、臨床治療および患者観察のための基礎知識を学ぶことができます。患者の多くは、長期の闘病の末に重い病状で、しかもひどい搬送条件で運ばれてきます。先般、個人の篤志家の皆さんやマーケッテ社から患者看護機器の寄贈を受けました。この結果、スタッフの研修が済みしだい、術後療養室および集中治療室をオープンできる準備ができています。


豪からの客員整形外科医が、
最先端の関節鏡検査法による外科技術を指導!

 僻地医療のための真の国際協力を推進してきた成果として、オーストラリアより整形外科のダグ・ターナー医師が、客員医師として来院されました。ターナー医師は、フィリピン人外科医ボイエット・デ・ラ・コスタ医師と協力して、当病院はもとよりおそらくカンボジアにおいても初の関節鏡検査法による外科治療を実施しています。

 アラスカから寄贈された機器を使い、53 歳の患者ウ・プールさんの左膝を動けるようにするための手術が行われました。カンボジア人麻酔科スタッフが熟練の技術で脊髄麻酔を施したのち、ビデオカメラとテレビ画面に接続された照明つきテレスコープにて膝を内部から診察しました。来院前に別の病院で患部を大きく切開する手術を受けたのですが失敗に終わり、膝は固まったままで、普通に座ったり曲げたりもできなくなっていました。

 関節鏡検査法を使えば、膝の4 カ所の傷組織に小さく穴を開けるだけで処置ができます。これによって、彼の膝はほぼ完全に回復したのでした。カンボジア人外科担当スタッフのラッターナさんが、プールさんに付き添い、彼の膝が完全に回復するまで介護することになりました。ミラノ出身の物理療法士ダニエラ・ブッチャーさんがその訓練を手伝ってくださいます。プールさんは翌日には退院、関節が本来の可動性を失わないように運動を継続していくよう指導されました。この関節鏡は、米国のオートペディックス・オーバーシーズ社との交流の結果、同社がアラスカから中古の整形外科用機器を入手できるという情報を教えてくれて、入手できたものでした。オレゴン州ポートランドからのその備品の輸送は、サンフランシスコ在住のウォルター・コトコウスキーさんのご協力をいただき、ノースウェスト・メディカル・チームによって手配していただきました。

 このような高度で複雑な機器技術の導入には、スタッフの努力と向学意欲が不可欠です。当病院の整形外科スタッフの成長と技術について、ターナー医師は次のように讃えています。

 「整形外科チームのスタッフは、みな自分の仕事をよく理解しており、私は外科の治療と教えることだけに完全に専念できました。誰もが自分が何をすべきか、いつそれをすべきかをよくわかっていました」

 外科部長のガムリー医師は、
 「この外科技術を導入できたことで、手術時の切開を最小限に止めることができ、感染のおそれも激減します。この結果、退院も早くなり、すぐに仕事に戻れることになります。非常に有効な新兵器になるでしょう」と期待しています。


寄付

 当病院外科医のチャンタ医師は、テリー・ハインリッヒさんとそのアシスタントから、外傷用絆創膏であるバンドエイドの寄贈を受けました。プノンペンの身体障害、および地雷被災の子供たちのためのラバラ・スクールにおいて実施した、外科治療に対する返礼としていただいたものです。このスクールは、オーストラリアン・マリスト・ミッションにより運営されています。チャンタ医師は、生徒や学校スタッフが外科治療や外傷治療に来た際、彼らは当病院の看護婦や医師との間で結ばれた関係に感謝の意を表し、子供たちも怖がったりしないことを讃えていました。

 このスクールで生活するパン・ヤットくんは、インタビューで、次のように語っています。

 「私は、森の中で友達と遊んでいて地雷に触れ、右手を失いました。友達も、同じ地雷で足を吹き飛ばされました。家族は、田舎で弟が祖母と住んでいるだけです。両親は、12 歳の時に病気で失いました。重病だったのですが、医者に行くお金がなかったのです。この病院に治療に来させてくれた学校に、とても感謝しています。3 度通院し、状態はずっとよくなりました。治療に尽くしてくださった皆様に心から御礼を申し上げたいです」

患者の物語
「寄贈されたIV液のおかげで、死の淵から生還」 シブ・ゴウンさん
 シブ・ゴウンさんは、プレイ・ヴェング州から3 時間かけて病院の救急治療室に搬送されてきました。すでに歩行不能の状態で、血圧は感知できないほど低下していました。その当日の早朝、頻繁な吐き気と激しい水状の下痢が続いて、地元の保健センターに行ったそうです。しかし、そこでの手当ては効果がなく、センター側は彼がひどい脱水状態であることを見て、シアヌーク病院に転送してきたのでした。

 救急治療室の医師は、ただちに静脈内水分補給を行わなければ数分で死んでしまう恐れがあることを察知、大量のIV 液を二つの管から静脈内に注入しました。幸い、ゴウンさんの身体は非常によく反応し、血圧は上がりはじめました。しかし下痢は続いていましたので、内科病棟に入院させて検査したところ、コレラに感染していたことが判明したのです。

 極端な下痢に対処するためにIV 液を切らしてはならず、2 〜3 日は看護婦や医師の厳重な監視が必要な状態が続きました。こうして、ゴウンさんの生命維持のために、3 日間で計45 リットルのIV 液が費やされたのでした。その甲斐あって、彼は普通に飲食ができるようになりました。やがて完全に回復し、自力で歩いて退院していったときには、病院の全スタッフが安堵したのです。

 「私は、4年前にプノンペンのシクロ(自転車タクシー)ドライバーになり、1 日に1.67 ドルを稼いでいました。5 人の弟と3 人の妹は田舎でとても貧しい生活をしていましたので、毎月、76 歳になる母親に6.20 ドルを送金していました。私はプノンペンでアパートを月家賃3.1 ドルで借り、毎日市場で食べ物を買って生活していました。

 ある日、屋台のアイスクリームを買って食べたのですが、その後に具合が悪くなり、下痢と嘔吐に苦しみました。もう死ぬだろうと覚悟していましたが、この病院のおかげで救われました。6 日経った今では、とても元気になりました。この病院のことは、路上で聞きました。スタッフの皆さまに、とても感謝しています。本当に温かく、私をいたわってくれました」

 多数の絶望的な患者のことを思うと、大量のIV 液を費やしたこの症例での治療処置は、極端で不合理だと思われるかもしれません。当病院の資源は限られているわけですが、そのなかで我々は、日々、どの患者を治療すべきかの難しい選択を迫られています。IV 液をはじめ、他の物資を提供してくださった皆さまに、ゴウンさん共々心から御礼申し上げます。カンボジアには、この病気の患者を治療できる病院は他にありません。

 この国では、栄養失調、貧困、紛争、そして現在のエイズ感染などによって、おびただしい数の、特に若い働き盛りの男性の命が失われています。そして、カンボジアには男性よりも若い女性や未亡人の方が多くなっています。働いてその多くの家族を養うことができるこの26 歳の男性の命は、特に大切であったとも思えます。

 そして、ゴウンさんが救われたことは、とりもなおさず、シアヌーク病院のカンボジア人医師および看護婦たちの成長ぶりを物語っています。この患者の危急時を通じて、腸と腎臓が正常な機能を回復するまで、難しいIV 液の供給管理と監視が必要だったのですが、彼らは見事にこの重い任務を全うしてくれたのです。

スタッフの横顔
イエム・ソフォーンさん
 ソフォーンさんは、シアヌーク病院開院以来、メンテナンス技師およびコンピュータ技師としての献身的な働きぶりで、敬意と賞賛を集めています。

 検査室、入院病棟、放射線、手術室、そして中央消毒施設などに新しい機器が導入されたので、彼の業務難度は高くなるばかりです。患者モニタ、医療機器、検査室での検査、および二つの手術室へ主発電機からの電力供給を絶やさないため、彼の努力は不可欠になっています。

 ソフォーンさんは、自分の自由時間に、寄贈されたさまざまな機器について懸命に学び続けており、出来る限り早く稼働できる状態にすべく、努力しています。助手の指導にも責任を持ってあたっており、また常に自らの技術を深めることに情熱を傾けています。そして、自分が担当している資源が最大限の寿命を全うできるように、極めて良心的に、予防メンテナンスの実施をスケジュールに入れています。

 新婚早々であるにも拘わらず、休日にもたいてい病院に出てきて、発電機のチェックを怠りません。患者の生命を自分の手に預かっていることを強く認識しているからでしょう。

 さらに、ソフォーンさんと彼の部下は、外国スタッフが共同で住んでいる、4 軒の家の毎日のメンテナンスも担当しています。これらは借家ですが、電気機器、コンピュータおよび小型機器などの問題の解決を彼に任せられるので、スタッフは研修や患者治療に集中できています。

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