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1999 5
マンスリーレポート
エイズボランティアおよび治療活動
エルトン・ジョン財団からの寄付

 英国のエルトン・ジョン財団より、シアヌーク病院 HIV/エイズ部の啓蒙活動に対する支援として、$17,000 (英ポンド£11,200 )の寄付を戴きました。ボランティアは、エイズ末期患者の方々をお風呂に入れ、体をきれいにしたり、食事を与えるなどの介護に当たっています。自らの時間や余暇を充てて、53 人のボランティアは、毎週6 日、地方病院や地域社会で平均53 人の患者を訪問しています。患者のほとんどは、エイズ感染者として社会から忌避されていたり、支援または慰安してくれる人がいません。

 シアヌーク病院のギリアン・ホール医師は、この価値ある任務を継続させていきたいと情熱を燃やしてきました。その活動の初年度には世界銀行の支援を受け、また英国のエルトン・ジョン財団を訪れています。彼女は、財団に対して、カンボジアの業病に苦しむ人々のために、無償で献身しているボランティアへの支援を依頼する手紙を送付したのでした。

 この寄付は、ボランティア・コーディネータのシャベリスさん及び彼の助手の1 年間の給与、そしてボランティアの交通費、患者のための基本的な食費や衣服費の支払いなどに充てられます。また最初の12 回のトレーニングプログラムに使用される教育資料の充実や、 HIV 部の医師に対する研修の月に1 日分の資金としても活かされる予定です。


HIV教育指導者の訪問

 厚生省およびユネスコが後援するHIV 教育者養成プログラム研修を受講した、22 人のグループが当病院を訪れ、HIV/エイズ問題を討議しました。これらの国定インストラクターは、60 人の地方インストラクターを養成、この60 人は各地方に派遣されて700 人の中学教師の指導にあたり、最終的に81,000 名におよぶ中学生に対するエイズ教育が実現することになります。
 カリキュラムには、基礎HIV 知識、セックスでの保護法、そして感染者の支援などが盛り込まれています。学校の保健教科書の内容改正に動いている医師たちは、 HIV 部長ギリアン・ホール医師、ネイビー医師とHIV 治療における患者の病歴について討議し、またエイズ関連疾病の患者が辿る悲劇的な経過の予測について、意見を交換しました。


日本のバクスター社が手術用手袋を寄付

 外科手術用手袋167,000 セットを寄贈くださったヒラヤマ・ケンジ氏、ボブ・ハーレー氏、そして日本のバクスター社に対して、厚く謝意を表します。
 私たちは、普遍的な警戒と院内感染の予防教育を徹底しており、そのためにも外科手袋はなくてはならない備品の一つです。
 厚生大臣マム・ブンヘン医師を通じ、患者治療で提携している8 病院および、医療機関にこれらの消毒済手袋56,000 セットを寄付させていただきました。アンコール小児病院、カンタ・ボッパ地方病院、国立小児科病院、ノロドム・シアヌーク病院、カンボジア生殖健康協会、そしてプレア・コサマック病院からの代表者が出席し、略式の贈呈式が行われました。バーナード・クリッシャー氏とマム・ブンヘン大臣が挨拶、厚生省のエン・フオット事務局長、厚生省管理経理部長のクイセアン医師が参席されました。


一家族から寄付された機器が、 メーカーの好意で3倍に!

 ヴィック・ロサスコさんは、70 歳の誕生日に、息子のマークさんから、病院の救急モニター装置購入に充ててくださいと$15,000 をプレゼントされました。それが、機器の製造元であるマルケット社の善意で、なんと$65,000 の価値あるスケールアップを遂げて、納入されることになったのです。

 当病院を訪問した際に、血中酸素量モニターに繋がれている重態の若いマラリア患者を見て、心痛む思いをされたというマークさん。しかしモニターは病棟全体に1 台しかないため、次々と患者間を移動させていかなければなりません。この窮状を見て、当時開設予定であった集中治療室用に、同様のモニター装置を寄付したいと強く願った彼の善意は、父親の賛同を受けたのです。

 当病院では、すでに二つの手術室のためにマルケット社から寄贈いただいた2 台のモニターがあり、その活用には十分な経験が蓄積されていました。我々の在米医療支援役員であるウォルター・コトコウスキー氏が、マルケット社アジア太平洋地区担当部長のビル・コーン氏とのコンタクトをとり、日々病院を訪れる多くの重態患者を救うために、ロサスコ一家からの寄付を最大限に活かしていただけないかと協力を求めたのでした。ロサスコさんの志を受けたコーン氏は、1 台の費用で3 台のモニターの提供を約束してくださったのです。

 こうして、現在私たちは、手術室の隣にICU (集中治療室)の開設準備に力を入れています。我々の超音波機器は、最近、放射線機器近傍に移動され、看護婦たちもこのサービス開始のための研修を受けています。このような素晴らしい贈り物をくださったロサスコさんご一家と、温かいご配慮を戴いたマルケット社に対して、深く感謝の意を捧げたいと思います。彼らの善意によって、命を救われる患者やその恩恵を受ける家族たちの数は、何倍にも増えることでしょう。


ユナイテッド・ラボラトリーズ社が、医薬品を寄贈

 フィリピンのユナイテッド・ラボラトリー社より、大量のアナルジェシックス、ビタミンおよび経口水和タブレットをご寄付いただきました。すべて非常に需要の大きかった品目であり、多くの患者の福音となることでしょう。


救急治療室、入院病棟、研修室にてボランティアが大活躍
マイケル医師、クリスティ・ステファン医師が、救急治療室を支援

 マイケル・ステファン医師は、現在カリフォルニア州リンウッドのセント・フランシス・メディカルセンターの救急治療部副部長を務めており、前UCLA メディカルセンターの救急医療のレシデントでもありました。かれは、UCLA ドリュースクール出身のクリスティー夫人と共に、当病院を支援にお越しくださいました。彼らは、救急治療室のスタッフと共同作業したり、最先端の心臓生命保持技術についてスタッフに講義するなかで、スタッフの熱烈な向学心に感銘を受けたそうです。彼らの表現を借りれば、“怒濤のような”需要にもかかわらず、スタッフがゆるぎない結束力を誇っていることに心動かされたといいます。

 「外国人スタッフとカンボジア人スタッフの協力体制の見事さに目をみはりました。全員が、カンボジアの患者たちに心のこもった質の高い医療を提供するという、一つの共通の目標に向かって団結しています」
と、マイケル・ステファン医師は称賛されています。

患者の物語
「病因不明の昏睡状態から回復」 オン・ブートさん
 ブートさんは、23 歳の若者でした。米作農婦の母、盲目の父、そして二人の兄弟と3 人の姉妹を助けるために、13 歳で働き始めました。最近、新しい仕事を探しに引っ越ししたらしいのですが、ここ1 カ月間、発熱と頭痛が続いていたそうです。地元の病院で診察しましたが、病状は好転しませんでした。当病院の救急治療室に搬入されてくる直前に、肝肥大、異常な発疹、そして赤血球が正常の15 %しかない貧血性ショックで、昏睡状態に陥りました。
 マラリアや脊椎刺水など、いくつかの検査は、すべて陰性でした。医師たちは、カンボジアで発生が確認されている幾多の奇病をふくめた、あらゆる病気の可能性について討論しました。ブートさんは、そうした奇病をカバーできる広範囲に効果を発揮し、また更に特化した抗生物質の投与を受け、輸血が施されました。この結果、病状が好転の兆しを見せ、意識が戻り始めたのです。やがて、飲食もできるようになりました。その後、彼の骨髄が新しい造血作用を発揮しはじめたのが確認され、わずか6 日間の入院で退院することができたのです。
 ブートさんの症例は、カンボジアで実施可能な限られた検査のみでは病因が特定できない、という代表的ケースでした。

 しかし、当病院医師たちは、そうした症状を引き起こすカンボジアにおいて多発あるいは稀少な病気を認識していたので、可能性ある病因に対して有効な抗生物質投与ができたのでした。優れた医師、看護婦たちの処置によって、ブートさんは抗生物質が感染源に対して効き始めるまで、生命力を保持できたのです。

 「4週間苦しんで、もう死ぬだろうと思っていました。この病院の治療は、私に希望を与えてくださり、すっかり元気になりました。入院している間、毎日受けられた素晴らしい処置を本当に有難く感謝しました。カンボジアにこんなよい病院ができて、私たちは幸せだと思います。この国の人々に、希望を持つことが出来ます」
 ブートさんは、晴れやかな表情でそう語りました。


「往診治療での出会いが、少女を長年の痛苦から解放」 マオ・スレイ・ニアンちゃん
 ニアンちゃんは14 歳の少女で、米国赤十字による地方往診外科治療が行われたときに、当病院スタッフと出会いました。5 歳の時、家族が飼っている牛の世話をしていて落下事故に遭い、左臀部を脱臼。当時、母親は妊娠8 カ月、父親はマラリアに罹ったのに治療が受けられないまま、死亡していました。

 以来、ニアンちゃんは絶え間ない臀部の痛みと片脚が短くなった状態がつづき、歩行困難のために稲田の野良仕事で家族を助けることもできなくなっていたのです。道ばたで砂糖を小売して、一日に54c 稼ぐのが精一杯でした。
 ニアンちゃんは外科病棟に収容され、脚の牽引治療を受けました。萎縮していた筋肉を伸ばしていくため、毎週少しずつ牽引に掛ける荷重を増やしていきます。そして5 週間にわたる牽引療法を終えた段階で、ボイエット・デラコスタ医師と、オーストラリアからの客員整形外科医ダグ・ターナー医師が、臀部の脱臼治療手術を実施しました。この結果、ニアンちゃんは自力歩行ができるようになり、痛みも消えて、いまでは7人の兄弟と3 人の祖父母を養っている母親を助けて働けるようになったのです。

 44 歳になる彼女の母親、ケオ・ソイさんは目を潤ませて語りました。
 「私は、12 人の家族を養うために、働いてきました。雨期が始まると同時に田植えをします。しかし、病気の夫と娘に治療を受けさせるお金がありませんでした。娘のために献身してくださった病院の皆さまに、心から感謝いたします。お医者さんも看護婦さんも昼夜の区別なく、手厚く介護してくれました。ニアンが9 年間苦しんだ痛みも消えて、自分で普通に歩けるようになって、こんなに嬉しいことはありません」

スタッフの横顔
チム・チャン・ダラリットさん
 ダラリットさんは、タイで会計学と経営学を修め、国連開発計画(UNDP )に4 年間勤務したのち、当病院に採用されました。国連雇用創造計画の一員として、財務システムや管理プロジェクトの立ち上げに携わるなど、高度な財務管理能力をお持ちです。彼は、責任感が強く、自己啓発にも優れ、1997 年10 月にスタッフになった後も、旺盛な向学心で着実に進歩を遂げてきました。

 190 人のスタッフの給与計算、病院財務のあらゆる日々の処理のコンピュータ入力、月次決算の作成、そして二つの小プロジェクト―エイズ・ホームケア・チームとボランティア・コーポレーションに対しても会計記録と会議出席などで協力しています。積極的により大きな任務に関わっていこうとする責任感、そして部下への経理技術の指導などの功績によって、より戦略的なプロジェクトや問題が彼に任されるようになってきました。
 最近の大きな実績として、当病院の監査法人であるプライス・ウォーターハウス・クーパーズ社により実施された独立監査に対して、病院の財務書類を完璧に仕上げて提出、見事承認されたことが挙げられます。こうした間にも、彼と彼の家族は、この2 月に落下事故に遭い、現在当病院の外科病棟に入院している母親を温かく介護しています。

 ダラリットさんは、信頼性の高い、正確で優れた独立的業務能力を誇っています。彼の専門能力や責任感は、当病院のこの草創期には、不可欠だったといえるでしょう。
 彼の経験、能力や模範を得られたことは、当病院にとって大きな幸運であったと思います。

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