ワールドメイト
どんなに貧しい人でも無料で治療が受けられる、カンボジアのシアヌーク病院 サイトマップ
寄付・支援方法
カンボジアの今
シアヌーク病院とは
活動内容と目的
建設ストーリー
組織と運営
マンスリーレポート
医療レポート
内科医療
外科医療
看護部門
放射線医療
薬局部門
HIVへの取り組み
医療図書館
活動報告

1999 11
マンスリーレポート
太平洋エイズ会議
ネイビー医師、第5回アジア太平洋エイズ会議で研究発表

 第5 回アジア太平洋エイズ会議においてネイビー医師は、国立HIV/エイズ・皮膚病・性感染病センターエイズ治療室長ノン・カナラ医師と共に、政府と非政府組織とが提携した地域活動に基づく家庭医療のモデルポスターを発表しました。

 ネイビー医師は、3 年前にシアヌーク病院に勤務するまでは、カンボジア赤十字のアドバイザー・講師を務めていました。当病院のHIV/エイズ部門の一員として、彼女はカンボジアにおける地域教育および医療の牽引役を果たしています。

 「地方でのHIV/エイズに関する集会の開催は、この伝染病の猛威に対処するための資源、技術そして責任を機動させてゆくために不可欠になっています。そして国際会議への出席は、HIV/エイズ感染者、政府、国際役員、臨床医、コミュニテイワーカー、活動家、研究者、サービス提供者やマスコミが共通の目標に向かって団結する、その一員になることでもあります。この共通目標には、HIV/エイズの感染阻止、既感染者に対する治療および支援環境の改善、そして不明点や差別の解消などが含まれています」
 会議を終えたネイビー医師は、シアヌーク病院同僚にそう報告しました。

 資源の乏しい国では、地域共同体の機動性がHIV/エイズ予防・治療の根幹を支えています。こうした共同体はまた、HIV/エイズ教育の拠点でもあります。今回の国際会議では、多くの斬新な地域啓蒙計画が発表されましたが、特定のグループを対象としたもの(風俗業従事者、トラック運転手、男性旅行ガイド、性転換者、漁師など)や、地域に基点をおいた治療/支援活動の改善プログラムなどが注目を集めていました。

 「HIV が蔓延し、AIDS 感染者が支援を必要としているかぎり、私たちが結集しこの業病を駆逐する決意を新たにしてゆく場が必要です。こうしたプログラムは、科学の威力を政治的任務に結びつけるとともに、最善の研究成果を、病に感染し影響された共同体の医療現場に活かすことを目指しています」
とネイビー医師は語りました。


第5回カンボジア外科会議

 シアヌーク病院外科・麻酔チームは、プノンペン大学医学部にて開催された年次外科会議に参加する機会を得ました。「カンボジア保健2000 」と題されたこの会議は、カンボジア外科学会およびカンボジア麻酔・集中治療学会が主催し、カンボジア人および外国人の外科医や麻酔医たちが、一般外科学、外傷学、泌尿器科学、歯科外科学、麻酔学、集中治療学、小児外科そして産婦人科学について学術的研究結果の発表を行いました。

 シアヌーク病院整形外科医のリカルド・デ・ラ・コスタ医師は、大腿骨頭骨折の処置をテーマに、特にその長期の不具状態を回避するための現代的外傷処置対処法について提言しました。一般外科のコーネリア・ヘーナー医師は、カンボジアで特に多い甲状腺手術に関する経験とその結果について発表しました。
 この会議は、当病院外科チームにとって、研修とともに、他病院からの同士たちとの交流の貴重な機会となりました。

患者の物語
「特効薬は自分が大切にされているという実感」 ノウン・スレイさん
 地方から来院したスレイさんは27 歳で、2 週間にわたって咳、呼吸困難、左胸痛が続いていました。本人の話から、精神的に落ち込む状況にもあったことがうかがわれました。2 年前に卵状塊の吐血があったらしいのですが、治療しないまま放置していたとのこと。家族で経営している家具ビジネスが思わしくなく、治療を受ける費用が賄えなかったようです。こうした背景は、肺炎の治療を始めたのち、当病院カンボジア人スタッフが、業務時間後にスレイさんを個人的にカウンセリングするなかで、判明したのでした。

 徐々に治療効果が現れ始め,現在、外科的フォローアップの予定が組まれています。しかし、なによりの良薬は、スタッフによる彼女と家族が大切な存在なのだという激励、そして医師や看護婦の献身的な介護にあったのではないかと思います。

 「この病院との出会いがなければ、死んでいたでしょう。夫も私も、3 年間、この病気のことでずっと悩み、心を痛めてきました。6 歳の子供を地元の親類に預けてきたのですが、こんなに元気にしていただいて、本当にありがとうございました。いまは、帰宅して子供に会えることがなによりの楽しみです」


「重度肺結核から生還」 ヴォン・サンフォスさん
 サンフォスさんは、辺境地区に住む40 歳の主婦です。1 月に、慢性喘息と体重減少の治療のためにベトナムに赴いたところ、肺結核と診断されたそうです。8 カ月間にわたる治療にもかかわらず、症状は悪化の一途をたどり、熱も下がらない状態が続いていました。

 全財産を治療のために使い果たし、シアヌーク病院を訪れたという彼女の胸部X 線写真は、左胸郭に大量の体液貯留と感染が起きていることを明示しています。入院したサンフォスさんに、胸から通した管を巨大な膿瘍に挿入し、胸郭内を排液するという治療が2 週間続けられました。

 この結果、病状は快方に向かいましたが、その後、肺の一部が損傷していることが判明。これは、本来は集中治療機器を援用した手術を必要とするものでした。カンボジアでは、こうした肺結核、またその感染や出血などの合併症は、珍しくありません。その手術には、集中治療室での術後管理を要することが多いのですが、当病院では集中治療室はまだ企画の段階にあり実現していないため、胸部への挿管による排液という古い処置に依らざるを得ませんでした。
 近い将来には是非とも集中治療室を開設したいと切望しているところですが、このような理由でしばらくは胸の排液と排気のために彼女は胸に管を通したままで退院することになりました。

 幸い、その後の再来院時には瘻は閉じて感染も消滅、肺も自力で拡張できるまで回復していたので、管は取り外されました。サンフォスさんは3 週間で体重が 10kg 増え、日増しに元気になっています。

スタッフの横顔
マーク医師  キム・バード医師
 マーク医師、キム・バード医師が、外科と救急治療室の応援にノースキャロライナから駆けつけてくださいました。マーク医師は、一般外科で4 年目のインターンで、当病院のルース医師が出張している間、コーネリア医師の右腕となって大きく貢献してくれました。内科医であるキム医師は、現在ノースキャロライナ大学で肺病学および救急治療での研修をされています。キム医師は、内科スタッフへの講義指導にも尽くしてくれました。

スチュアート・デグリン医師  ジョアン・シャピーロ医師
 米国の心臓病医であるスチュアート・デグリン医師が、同僚の産婦人科医シャピーロ医師とともに当病院を訪問。彼女たちは、医薬品、備品そして図書館に本を寄付されました。シャピーロ医師は産婦人科病学について、またデグリン医師は内科病棟で数人の患者にたいするカウンセリングおよび心電図の解読について指導してくださいました。
次のレポート