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2000 4
マンスリーレポート
開院3周年 治療と研修の画期的な成果
厚生大臣マム・ブン・ヘン氏がスタッフの業績を評価

 「シアヌーク病院の3周年記念式典に出席でき、大変光栄に存じます。当病院は、カンボジア人医療スタッフの研修および患者、とくに貧しくかつ必要とする患者たちに最良の医療を無料で提供してくれる、我々の特別なるパートナーです。私はずっとこの分野の活動、また当病院スタッフの勤勉さや外国人との間に築いている非常に良好な関係に注目していました。皆さまの業績を心から称えたいと思います。プノンペンやあらゆる地方県の人々は、自らの母親に対するように患者に接し、偉大な人間愛をもつここの全スタッフを信頼しています。」
 マム・ブン・ヘン氏はつづけて、
「シアヌーク病院は、貧困民にたいして無料で医療を提供するという格別の方法で、厚生省を支援してくださいました。厚生省の長としてそして医学の専門家として、すばらしい貢献をしてくださった全スタッフに対して深甚の謝意を表します」



ホープワールドワイド会長ロバート・ゲンペル氏、スタッフの貢献を評価

 「シアヌーク病院のスタッフの皆さまの業績を称えることができる機会を得たことは、この上なき喜びであり光栄です。世界中のもっと多くのより大きな規模の病院でも、短期間にこれほどの目覚ましい成果をあげることは困難だったでしょう。わずか3年前に、私はバーニー氏を通じて、カンボジアの貧困民のために、高度な無料医療を提供するために病院を建設したいという、ワ−ルドメイト・リーダー深見東州氏の構想を伺ったのでした。

 ノロドム・シアヌーク国王のご厚意、プノンペン市立病院および厚生省の協力、深見東州氏の発案と財政支援により、この建物は完成しました。そして、この建物に生命と技術を注入することによって、カンボジア人医療スタッフへの研修、貧困民を救済する医療を提供する施設が実現したのです。

 1996年末にスタッフ配備と運営体制の準備を終え、その後まもなくしてオープンすることができました。当初は、外来のみの診療所としてスタートしたのでしたが、その後着実に発展を遂げ、このように世界の注目を集めるほどの非常に生産的な内科・外科病棟を備えた病院に成長したのです。
 ハーバード大学や南カリフォルニア大学はすでに当病院の協力者であり、さらにその支援体制を強化してくれています。オーストラリアや米国から、多くの上級医療・外科の専門家が当病院での授講を希望されていますが、お待ちいただいている状況です。また、世界中の医学生から毎週のように手紙が届き、わずかの期間でもこの病院で研修したいという要請が寄せられています。多くの客員医師や講師から、スタッフの熱心な受講姿勢に対する喜びの声も聞いています。非常にいい質問が出るので、充実した学びと研修ができているということでした。

 思えば3年前、いま皆さんがいらっしゃるこの場所で、モニニス王妃をお迎えして病院開設記念式典が行われたのです。その時には、これほど多くの方々が治療を受け、これだけ多くの生命が救われるとは、想像していませんでした。診療と治療を補助する検査室が12万5千件もの検査を実施し、薬局が16万件の処方箋を発行するようになるとは考えられないことでした。これは単に数が増えただけでなく、一人ひとりの適応性や能力が飛躍的に向上した全スタッフの団結した努力なくしては不可能だったでしょう。
 ホープ・ワールドワイドが、このような意義ある人材育成のプログラムの一端を担っていることをうれしく思います。ホープ・ワールドワイドとワールドメイトの財政支援、及び現地スタッフと外国人スタッフとの優れた協力関係が、この3年間の成功の最も大きな要因だったといえるでしょう。ここカンボジアで自らの能力を活かすために故郷を離れて駆けつけてくれた、米国、オーストラリア、英国、フィリピン、スイス、ベルギー、スコットランドやドイツからのスタッフをお迎えできていることは、本当に幸運です。また、この国にしっかりとした医療の未来を築くために、カンボジア国家当局とも緊密な連携をとれていることに感謝しています。
 そして、私ども理事は、とくに、最長勤続の方から最近採用された方をふくめて206名に及ぶカンボジア人スタッフに恵まれていることを、誇りに思います。彼等は、相互に学びを深めてゆくために必要な団結したチームを結成し、第一級の医療を提供していることを目のあたりにできます。

 シアヌーク病院理事会を代表して、これほど素晴らしい業績を達成された皆様に謝意を表する機会をいただいたことは、大きな喜びです。あらためて、今後とも、みなさまが更に研修を深め、そして患者の治療を進めてゆけるよう、私たちは支援を継続してゆくことをお約束するものです。
 スタッフの絶大な貢献を称えるバーニー&アキコ・クリッシャー夫妻が、1999年11月に当病院を訪問されました。バーニー氏は、スタッフの努力と研修・医療への惜しみない貢献を高く評価されました。彼は、来院患者の半数以上が地方から訪れていることに言及、当病院が与えているインパクトの大きさを強調されました。
 日本の社会福祉家でありワ−ルドメイト・リーダーの深見東州氏が発案したことに対し、氏の経営するコンサルタント会社の顧問であったバーナード・クリッシャーは、具体的な構想を助言して共に練り、政府に働きかけ、建設会社や設計会社をアレンジしました。
 この間、発案から2年間でバーナード・クリッシャー氏の尽力と深見東州氏による財政支援により、シアヌーク病院は1996年12月にオープン。

 その後、米国に公益法人シアヌークコープが設立され、病院の運営に必要な年間約2億円の資金の半分をホープワールドワイドグループが支出し、もう半分をワールドメイトと深見東州氏が毎年支出しています。また、バーナード・クリッシャー氏も積極的に寄付を募り、外科用手袋、心電図撮像装置、2台の救急車などの寄付を実現されました。救急治療室にて毎日100名もの患者に対応している35名のスタッフは、彼の努力により松下電器から寄贈されたエアコンに感謝しています。
 バーニー夫妻に、病院建設の構想とその継続支援を称え、シアヌーク病院の警備員であり学生アーティストであるラズミーさんの描いた水彩画を贈呈されました。


歴代月間最優秀スタッフを表彰

 病院オープン以来これまでに選ばれた全ての月間最優秀スタッフに対して、その業績と研鑚・高度医療のための継続的努力をたかく評価して、表彰状が授与されました。

患者の物語
「私の国でこんな病院は見たことがない!」 サム・ソテアさん
 プノンペン生まれのソテアさんは17歳、木から落下したということで来院しました。頭部と右手首を負傷し、鼻血を出し、両眼は黒ずんでいます。重態でしたが、質問には応答し、指示にも従えます。頭部X線撮影では頭蓋骨は大丈夫でしたが、手首は骨の成長部位を含む部分で折れていました。
 入院直後は、動作が緩慢になり、錯乱状態になるなど、症状が悪化しました。過敏状態でしたが、衰弱や瞳孔異常は見られません。X線には写りませんでしたが、頭蓋骨基部の骨折のために脳全体の炎症を起こしているようでした。頭蓋内の凝血塊も見出せませんでした。頭蓋骨基部の骨折や、脳を圧迫する凝固血液の有無の診断には、CTスキャンが最適なのですが、残念ながら当病院にはまだ装備されていません。
 血液検査の結果、血中カリウム量が著しく低いことが判明、これが炎症を引き起こしていることが疑われました。この是正措置をとったところ、その後2、3日で症状が回復、正常に戻りました。
 こうして、手首の骨折治療も安全に処置することができたのです。骨の成長部位で骨折した場合、その後の成長過程で骨がねじれたりしないために、正確な位置で接合させることが必須になります。そのため、骨折部位を切開し、骨の配置を観察し、ピンを用いて骨折部位の精度の高い接合作業を実施したのです。
 ソテアさんは無事退院して帰宅、通学を再開することができました。骨折が順調に治癒しているかを確認するために、再来院することになります。
 プノンペンの街頭で物売りをしている53歳の未亡人である母親のシ・ノウンさんは、
 「この病院のスタッフのみなさまに心からお礼申し上げます。隣に住む人から聞いた話は真実で、本当にとても優しく手当てしてくれました。貧しくて5人の子供がいて、他の病院にはとても通えません。ですから、この病院で最高にすぐれた治療を受け、薬も無料で処方していただいて、幸せです。私の国で、いままでこんな病院はみたことがありません」

「この病院がなければ息子は死んでいた。」 サモルさん
 サモルさんは27歳、腸下部からの出血を訴えて来院しました。別の病院でチフス熱との診断を受け、大量の伝統医薬とアスピリンを服用していたそうです。出血の原因は、そうした薬の過服用であることが疑われました。外科スタッフと相談した結果、手術をすれば出血阻止のために腸下部の大半を切除することになるため、内科治療でいくことに決定。輸血と投薬により症状は安定して速やかに回復、7日後には帰宅できたのでした。
 母親のサビーさんは、
 「じつは息子を病院に連れてくるのは、心配だったのです。以前娘が病気になったときに、数人の医師や病院を訪れたのですが、彼等はお金を取るだけで、結局娘は治らずに死んでしまいました。この病院を退院した患者さんが、よくなったことを知って、来院したのです。彼が言っていたことは本当でした。カンボジア人も外国人も全スタッフが、患者のために尽くすことに何の不平も言わずに、24時間体制で治療してくれる」
 ということが……。これほどすばらしくて清潔な病院はいままでみたことがありません。この病院がなければ、息子は死ぬしかなかったことは間違いありません。
スタッフの横顔
サム・オウエン看護婦
 ソフォーンさんは、シアヌーク病院開院以来、メンテナンス技師およびコンピュータ技師としての献身的な働きぶりで、敬意と賞賛を集めています。
 検査室、入院病棟、放射線、手術室、そして中央消毒施設などに新しい機器が導入されたので、彼の業務難度は高くなるばかりです。患者モニタ、医療機器、検査室での検査、および二つの手術室へ主発電機からの電力供給を絶やさないため、彼の努力は不可欠になっています。

 ソフォーンさんは、自分の自由時間に、寄贈されたさまざまな機器について懸命に学び続けており、出来る限り早く稼働できる状態にすべく、努力しています。助手の指導にも責任を持ってあたっており、また常に自らの技術を深めることに情熱を傾けています。そして、自分が担当している資源が最大限の寿命を全うできるように、極めて良心的に、予防メンテナンスの実施をスケジュールに入れています。 新婚早々であるにも拘わらず、休日にもたいてい病院に出てきて、発電機のチェックを怠りません。患者の生命を自分の手に預かっていることを強く認識しているからでしょう。

 さらに、ソフォーンさんと彼の部下は、外国スタッフが共同で住んでいる、4 軒の家の毎日のメンテナンスも担当しています。これらは借家ですが、電気機器、コンピュータおよび小型機器などの問題の解決を彼に任せられるので、スタッフは研修や患者治療に集中できています。


ケオ・イエム・モニー外科医
 当病院に来る前は、モニー医師は他病院に勤務していましたが、自らの外科技術を研鑚したり深い研修を受ける機会はなかったとのことです。
 当初、彼は英語がなかなか習得できず苦しみましたが、根気づよく学習を続け、いまや国際的な外科チームを率いるまでに成長を遂げました。外科症状やその管理を完全に理解するために質問することを躊躇せず、また外科患者の総合的な治療を実現するために、他の部門の助言を求めることにも積極的です。外科病棟における彼の症例発表能力も向上、高度で難度の高い外科臨床例に関する理解や、可能性ある複合症状についての認識が深められていることを示しています。

 先月、モニー医師は、看護婦のラウラ・ペセックさん、サム・オエウンさんとの外傷治療に関する共同発表会で、主役を務めました。彼等は、いくつかの管理計画の概要を発表し、また外傷治療における問題を明示、全医療スタッフに対してその内容を関連付けることに成功しました。モニー医師の発表はよく練られ、十分な準備を重ね、表現力も見事なものでした。
 モニー医師のリーダーシップ、成長そして進歩ぶりは病院全体において高く評価され、全スタッフに対する模範的な存在になっています。
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