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2000 5
マンスリーレポート
フェルデイナンド・クルス&ギリアン・ホール医師夫妻、いま新天地へ

 フェルデイナンド・クルス医師とギリアン・ホール医師は、シアヌーク病院草創期からの中核メンバーです。ともに休みなく働き続け、絶大な業績を挙げてこられました。救急治療室創設時の困難な状況下で出会った二人に、友情が芽生えます。その後、スタッフ育成と様々な医療プログラムの推進に心身を捧げてきた両医師は、1999年5月に結婚。3年間にわたる輝かしい足跡を後に、今さらに研鑚を深めるために今、イギリスへ発たれます。
 病院が開院した頃、救急治療の内科専門医が切望されていました。フェルデイ医師は、フィリピンでの研修医という地位を捨てて、駆けつけてくれたのでした。外来のみの小規模なクリニックとしてスタートした当初から、彼は救急治療部の育成に心血を注いできました。現在、救急治療室は、毎日100名に及ぶきわめて複雑な病状の患者たちを処置する、効率的で秩序だった医療チームに育っています。このチームは、それ以外に外来診療部にて毎日150名の患者にも対応しています。

 フェルデイ医師による内科医の育成、指導、そして患者への心のこもった応対の姿勢は、スタッフの模範として称えられています。彼は、21名のカンボジア人医師の主任医療コンサルタントを務めました。この医師たちは、3年間に22万6千名におよぶ外来患者の処置をこなしています。フェルデイ医師は、講師としても、毎週3・4回の講義を実施、これが当病院の医療技術の成長および向上の中核的役割を果たしてきました。さらにかれは、殺到する治療要請に対する対処法を検討するための「アクセス・コミッテイ」も創設しています。 彼の誠実さ、患者への思いやり、ハードワーク、向上心や同僚への気配りなどは、いまや伝説的になっています。カンボジア人医師たちが主催して開かれた送別会では、胸うつ謝辞や賛辞が数多く聞かれました。そのうちの一つを紹介しますと、「フェルデイ医師は、患者に対する接しかた、向上心、個性と信念について教えてくださいました。カンボジアでの医療の方法を変えてくださったことに心から感謝いたします」 クルス医師の業績は、実地研修により医師を育成し貧困患者を救うという当病院の目標を達成するための根幹となっています。彼が及ぼした影響は、カンボジアにおける医療の方向性そのものを変えたといえるでしょう。つねに謙遜とユーモアギリアン・ホール医師(左端)とフェルデイナンド・クルス医師、送別式にて。事務主任兼通訳のバンデイ氏、キャメロン・ギフォード医師と共にを忘れずに、すばらしい成果を残された彼の足跡は、はかりしれない称賛と尊敬に値するものです。

 患者に対するその深い慈しみと思いやりが、ギリアン・ホール医師を増大をつづけるHIVとエイズの患者を支援するグループの創設に駆り立てました。この発意は、HIVをもって生きていくことの心理的、財政的そして感情的な苦しみに喘いでいた患者や家族の福音となりました。そして、当初、数人の人たちが、ボランテイアの地域指導者や介護人となるべく研修を受けたいと申し出てきたのです。ギリアン医師は、家族、友人や隣人に見捨てられたエイズ患者に対して、個人介護、食料、支援や友情を提供するための「ボランテイア・グループ」を結成。教育や研修を通じて、ボランテイアの数も6名から67名に増え、昨年度にはのべ1万名の患者訪問を果たしています。ホープ・ワールドワイド・カンボジアに所属する二人のフルタイム・ボランテイアコーデイネーターによる監督のもとに、カンボジアとしても最初でかつ目下最大のグループに成長したのです。

 その後、ギリアン医師は、治療のための包括的なアプローチの必要性を痛感するようになります。そして、10%がHIV関連の病気にかかっている当病院の外来および入院患者を支援するためのカウンセリングサービスを開始しました。彼女の指揮下、HIV・AIDS部は、毎週エイズクリニックを実施することになります。この活動を通じて入院患者に対する治療基準が確立され、また家庭介護チームも結成されていったのでした。
 地域教育も強化されました。先般、21人の地域ワーカーおよびボランテイアを対象にした、第2回HIV・AIDS・STDSおよび地域ヘルスケアに関する指導者研修の5日間コースが終了しました。

 彼女の指導のもと、HIV・AIDSに関する任務は、アジア最速の感染率という汚名を蒙っているカンボジアで、急速に展開してゆきました。より多くの地域でこうした実績が評価され、ギリアン医師はWHO、UNA、IDS、KHANA(クメールHIV・AIDSNGO連合)やハーバードエイズ研究所などから、講師、委員、コンサルタントなどとして招聘されることが多くなりました。また、資金援助団体も、彼女の業績に関心を示してきました。エルトン・ジョン財団、WHOやKHANAは、ギリアン医師の要請に応えて、「ボランテイア・グループ」や「ホーム・ケア・チーム」への財政支援を決定してくれたのです。


辺境地区の地元医師が1年間の研修を修了、帰郷へ

 辺境のラタナキリ県から当病院外科部に研修に訪れていた二人の医師が、一年間の予定を終え、帰郷することになりました。コス・ポロ医師は麻酔科と一般外科を、セン・ケア医師は解剖学と外科技術をそれぞれ専攻、実地研修にて研鑚を深めることができました。

 両医師は、異口同音に喜びを表していました。「ラタナキリに戻って、ここで得た貴重な経験を村人たちの救うために生かしたいです。この病院で臨床の先生方について学ぶ機会をいただいたことに、本当に感謝しています。すべてのスタッフの方々から、心から患者に尽くすこと、スタッフが互いに研鑚のために助け合うこと、貧しく医療を求めている人々のために献身すること、を学びました。この1年間は、まるで1ヵ月のように早く過ぎてゆきました。それほど、充実した生活であり、多くのことを会得させていただいたのだと思います」


豪州から物理療法士が応援

 シドニー大学で物理療法を専攻する学生のロシェル・グリムソンさんが当病院を訪れ、3週間にわたってパートタイムの物理療法士ポーラさん、新人のカンボジア人スタッフ・レイジーさんと共に治療に協力されました。
 ロシェルさん曰く、
 「ここの患者さんたちの症状は、オーストラリアでは殆ど経験したことのないものばかりです。こうした治療に常時携わっている優秀な方々と共に働くことができて、幸運でした。ポリオ、脳性まひ、湾曲脚、マラリア、地雷による負傷、後日発覚骨折などが、カンボジアでは日常的に発生しています。スタッフたちが、気さくに、献身的かつ専門的な治療と配慮を患者一人ひとりに注いでいることに、深い感銘を受けました。カンボジア人スタッフはとても向学心に富み、研鑚に精進されています。この病院で私の経験を生かせたこと、また学ぶ機会を得たことは、大きな誇りです」

 オーストラリア出身、応用科学の医療画像専攻で学士号取得直前のカサンドラ・ベケット氏が、1月に3週間にわたって当病院の放射線部を訪れました。カサンドラ氏は、
「プセアニ医師、バナリス医師の情熱、根気強さそして治療に対する姿勢に大変感動しました。このように資材が限定されている状況で、現像されたフィルムを正確に解析することは容易ではありません。ボブ・コロン氏は、彼がフィリピンで培った経験を、トール氏、リース氏、ナック氏に伝え、高品質の診断フィルムを生成することに成功しました。互いに大いに学び、笑い合い、本当に充実したひと時でした。これまでに私が知っている中でも、最も幸せに満ちた放射線部だったと思います」


シェル・カンボジア社が
     VCRとモニターを寄贈

 シェル・カンボジア社の総支配人であるリム・チョウン・フイ氏が、当病院に研修用としてVCRとモニターを寄贈してくださいました。このおかげで、ビデオ教材を用いた研修を展開できることになります。効果的な指導が可能になるでしょう。将来的には、患者教育用のビデオも制作したいと考えています。


リーダーシップ養成講座実施

 病院の全部門を横断する28名のスタッフを対象にしたリーダーシップ養成講座が、12週間にわたって開催されました。バックグラウンドの違うスタッフたちが、火曜または木曜のランチタイムに集い、受講、ケーススタデイ、トレーニング実習などで、貴重な研鑚の機会となりました。

 コミュニケーションやチームワークについては、ホープのプログラム・デイレクターであるマーク&パテイ・レミジャン氏が、米国、ベトナム、カンボジアやフィリピンで重ねてきた国際的な経験を披露。グラハム・ガムリー氏は、組織化や、部門横断的な団結を結成することの重要性について、彼の膨大な経験をもとに語ってくれました。
 医療事務主任のバンデイ氏は、書面でのコミュニケーション方法や電話応対技術の指導にあたってくれました。当病院経理担当のダラリス氏は、マイクロソフト・エクセルを使って、ワークショップを実施。図書館司書のボーン氏は、MSワードに関する参考シートを作成し、使用方法を解説。広報部のソク・クン氏は、パワーポイントについてワークショップを開催して下さいました。全スタッフが使いこなせるように、デイスケットが配布されました。数人の参加者は、こうして学んだ技術をただちに応用に移しています。たとえば、前掲の通院時間のグラフは、エクセルをつかって医療事務部のピセット氏が作成したものです。検査室長のアンジェラ・ウェイド氏は、14年間にわたる病院検査室での経験を活かして、トラブルの解決について講義してくださいました。

 スザンヌ・ガムリー氏は、11年間にわたるIBMでのマーケテイングとマネージメントの経験をいかして、このコースの企画、運営を担当。短時間のケーススタデイは大変評判がよく、また業務目的、時間管理やチームワークについてのワークショップも好反応を得ていました。スザンヌ氏は、現在、チームワークやマネージメント技術の専門レベルに移るためのマネージメント入門クラスを準備しています。

患者の物語
「12人兄弟唯一の生き残り」 イン・チェアさん
 チェアさんは、我々がよく遭遇する鬱血性心不全に悩む患者の一人でした。近隣に通院できる医療機関が存在せず、費用もなく、病状は複合的に進行していました。

 チェアさんは、12人兄弟のうち、ただ一人の生き残りだといいます。他の11人は、みな病気で亡くなったそうです。一家は、遠い田舎の村で農家として暮らしており、周辺にはほとんど医療施設がないという、悲惨な状況でした。チェアさんが救急治療室に連れてこられたとき、呼吸困難と妊娠9ヵ月の妊婦のような腹部膨満を呈示していました。脚は腫れあがり、疥癬がわき、左足親指は感染して肥大し悪臭を放っています。このような症状が、もう3年間続いているというのでした。
 健康相談員が彼の家を訪れて薬を処方しましたが、費用が賄えないために、治療も中止されてし5 シアヌーク病院レポートまったとのこと。症状がどんどん悪化していることに気づいた家族が、隣人の助けを借りて、彼をシアヌーク病院に連れてきたのです。

 来院時、彼の呼吸器系は激しく衰弱していました。ただちに酸素吸入、そして抗生物質および肺にたまった水を排出させるための利尿剤が投与されました。診断結果は、肺炎により悪化した心臓弁疾患でしたが、これは投薬で改善できます。伝統医薬の服用のためにさらに感染が進行していた腫れ物も、抗生物質と包帯によって治癒してゆきました。5日間の入院で十分な回復を遂げて、チェアさんは無事退院。今後は、通院治療を続けることになります。43歳の農夫である父親のイムさんは、次のように喜びを表していました。
 「息子を救ってくださったこの病院の皆様、本当にありがとうございました。重病に苦しむチェアに対して、地元の医者たちは、私の収穫した米を全部売り尽くすまでお金を要求したあげく、プノンペンに行けばいいというのでした。この病院は、すばらしい薬とお医者さんたちがいらっしゃり、患者に対して身を粉にして尽くされています」
 こうしてチェアさんは、家族を助けるために畑に戻ってゆきました。

「臀部関節の脱臼が平癒」 ロク・サヴェイさん
 サヴェイさんは、家の玄関で躓いて転倒、臀部を打撲したそうです。家はとても貧しいので、民間治療家を訪れましたが、3ヵ月たっても激痛は消えず、歩けない状態がつづきました。家族がシアヌーク病院で無料の治療が受けられると聞き、連れてきたのでした。来院したサヴェイさんは、左足が右足より短くなっていることを訴えました。

 X線診断の結果、左臀部の関節脱臼が判明。外科病棟に入院し、5〜6日間にわたって少しずつ負荷を増やしていく牽引治療が行われました。徐々に脱臼部を引張する作業をつづけたのち、1ヵ月後に関節を元の位置へ戻す手術を実施したのです。

 術後2・3日たって、物理療法の指導が開始されました。これは、歩行訓練と、臀部の組織が治癒していく期間、臀部が再度脱臼しないように自分で保護する訓練です。10日後、彼女は起立できるようになり、ゆっくりと松葉杖で歩きはじめました。無事退院した彼女は、6ヵ月後には杖なしで歩けるようになれるでしょう。
スタッフの横顔
フェルデイ・クルス医師 & ギリアン・ホール医師
 「あなた方が捧げた献身と慈愛は、わたしたちの模範として、長く生きつづけることでしょう。ここに残された教えがしっかりと育ってゆくことを、お二人の生涯を通じて目にされ、そして耳にされるはずです。あなた方のお名前を知らない数千人の人々が、その偉大な業績によって病を癒され、豊かな人生を送れるようになることでしょう。私たちそして患者たちの人生に、忘れ難い刻印を残されたフェルデイ医師、ギリアン医師。お二人が、この病院とカンボジアにおける救急治療システムに与えられた貢献は、計り知れません」と病院長グラハム・ガムリー氏は賛辞を贈りました。
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