ワールドメイト
どんなに貧しい人でも無料で治療が受けられる、カンボジアのシアヌーク病院 サイトマップ
寄付・支援方法
カンボジアの今
シアヌーク病院とは
活動内容と目的
建設ストーリー
組織と運営
マンスリーレポート
医療レポート
内科医療
外科医療
看護部門
放射線医療
薬局部門
HIVへの取り組み
医療図書館
活動報告

2000 6
マンスリーレポート
8人のカンボジア人内科医が指導的立場に

8人のカンボジア人内科医が指導的立場に

 このたび、シアヌーク病院のカンボジア人内科医8名に対し、管理内科医としての昇進辞令が交付されました。シアヌーク病院の3年間の歴史のなかでも、特に輝かしい成果の一つといえます。
 3年間研修に専心し、国際的な外国人内科医たちと協調して精励してきた各医師の知識と責任感、そして著しい進境ぶりが評価されたものです。複雑で深刻な病状の患者が多いことを考慮すれば、その価値はさらに高まるでしょう。

 当院患者の50%は、貧困ゆえに医療へのアクセスが容易でない地方から訪れています。当病院では、自前の検査室や放射線部による検査が、診断治療の大きな助力となっています。しかし、こちらに来院するまでに現地の民間療法や投薬を受けていたり、病状が複雑を極めるため、正確な診断を下すことは、決して容易ではないのです。
 この主任内科医たちは、今後、直接的に患者管理を担当し、意思決定権限が与えられ、また同僚の業務管理についての役割等を担うことになります。


医学生たちに放射線研修

 放射線学専攻のチェア・バナリス医師が、毎週木曜日の自身の休日を返上して、結核および呼吸器医学を学んでいる4年生と5年生の医学生たちに講義をしています。
 バナリス医師は、カンボジア人医学生たちに実践的な知識と理解の機会を与え、彼らが肺疾患の診断治療ができるように育成したいと望んでいます。シアヌーク病院は、カンボジア国内で最も多忙な成人外来病院であり、毎月のX線診断ならびに超音波診断実施件数は、900件にのぼります。バナリス医師は、放射線部長であるプテアニー医師の理解を得て、X線やスライドを用意、放射線学におけるご自身の経験を学生たちに伝授されています。後進の指導に賭ける彼の熱意と行動力を高く評価するものです。


外科部ニュース

 外科部長のルース・トーテイル医師、経理部長のアイアン・トーテイル氏夫妻に、めでたく女児ショーナちゃんが誕生しました。
 ご夫妻の当病院へのこれまでのご貢献を改めて称え、また地方でのご出産を決意されたことに敬意を表したいと思います。ぜひ、プノンペンに早く戻ってきていただける日を楽しみにお待ち申し上げる次第です。幸い、母子ともに健康とのこと。トーテイル医師は、2、3ヵ月後にはパートタイムで業務に復帰してくださることになりそうです。


病院保安訓練

 オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の上級警察官であったハワード・ガムリー氏がこのほどカンボジアを訪問、当病院警備チームに自己防衛技術の訓練を実施してくださいました。この訓練によって、警備員たちの患者の安全保護、ならびに緊急時の対応能力が格段に向上することが期待されています。


第2回地域ボランティア研修会

 21人のボランティア指導員のための、HIV/AIDS/STDおよび地域ヘルスケアに関する、2回目の5日間にわたる指導員研修会が実施されました。出席者は、当病院HIV/AIDS患者支援グループのリーダーたち、ホープ・ワールドワイドのボランティア、そして地域活動リーダーたちです。

 このコースは、シアヌーク病院HIV/AIDS部のコン・ブン・ネイビー医師が主催・講師をつとめ、UNDP/UNAIDSの国家指導委員であるチュン・ボラ氏がアシスタントを担当。彼らは、HIV/ AIDS部前部長のギリアン・ホール医師の尽力により、当病院、KHANA(地方非政府AIDS組織)およびエルトン・ジョンエイズ財団から資金援助を受けています。 この研修会の目的は、彼らが正確なHIV/AIDS予防情報を伝達でき、また参加型教育技術を実践できるよう指導することです。参加者は、ホープ・ワールドワイド・カンボジアの67人のボランティアから学んだことを人々に伝えていく任務を担ってゆくことになります。

 1999年中、このボランティアたちは、地域、公有地の無許可居住地区にすむエイズ患者1万人を訪問しました。患者の家族でさえ、恐怖、誤情報や知識不足などのために、患者を見捨ててしまっていることが少なくありません。彼らは、自らの休日や週末を割いて、患者宅を訪問し、大変な困難を伴う状況のもとで入浴や食事などのお世話をしています。そして増加の一途をたどるこの業病の患者たちを介護するために、家族や地域メンバーを教育し、エイズ予防について対話を重ねています。

  厚生大臣兼国家エイズ局永世副局長のナロン・リース博士は、研修会の閉会式で
「  シアヌーク病院のボランティアグループについて伺い、大変誇りにまた感激した次第です。エイズ患者たちへの心のこもった介護と、地域教育によってエイズ感染予防に尽くされている多大なご努力に敬意を表します。このグループは、我々の社会とカンボジアにとって、偉大なる模範です」と讃えました。




ガムリー医師がロータリー国際賞を受賞

 このたび、当病院理事であり、オーストラリアのタンカリー・フォスター・ロータリークラブ名誉会員、そしてプノンペンのロータリークラブ会員であるグラハムガムリー医師に、オーストラリアのロータリー・デイストリクト9650より、ロータリー国際ポール・ハリス・フェローシップが授与されました。
 このポール・ハリス・フェローシップメダルは、ロータリのモットーである“サービス・アバウブ・セルフ”(他人への奉仕)を実践した社会貢献度の高いロータリークラブ員に授与されるもので、ガムリー医師は、シアヌーク病院での絶大な実績が評価されたものです。


リン・ネグリーさんを偲んで

 当病院を2度にわたって訪問され、ボランティアで支援してくださった、キャロリン・ウェスター医師のご母堂リン・ネグリーさんが、先般ご逝去されました。病院スタッフ一同、謹んで深くおくやみ申し上げる次第です。ご家族、ご友人ほか多くの方々が、世界中の貧困で、必要とし、HIVに感染した患者たちを助けるために献身されたリンさんの足跡を偲んで、多くの寄付をしてくださいました。この場をお借りして、改めて厚く感謝申し上げます。

患者の物語
「下肢切断手術で5年間の激痛から解放」 パット・レンさん
 38歳の農夫であるレンさんは、5年前に牛車から落ちて左足踵を負傷、以来絶え間ない激痛に苛まれてきました。民間療法を受けたものの一向に回復しないまま、ようやく昨年当病院を訪れました。しかし、踵と下腿はすでに慢性的な感染に冒されていました。外科手術による治療を試みましたが、激しく進行している骨肉炎に阻まれ、やむなく膝下部から切断して義足を装着することに。術前に物理療法を受けていたので、手術の翌日から松葉杖をついての強化訓練に入ることができました。
 まもなくリハビリテーションセンターに転院、義足装着と歩行トレーニングを開始する予定です。

 このトレーニングを終えれば自由に歩けるようになり、農作業に復帰できることでしょう。
 レンさんは次のように喜びを表していました。
「あの激痛から解放されたことが、今だに信じられません。義足を装着するまでは、松葉杖をつけば歩くこともできます。患者の貧しさなど一切関係なく、温かく励まして支えてくださった病院スタッフのみなさま、ありがとうございました。おかげで、また仕事に戻ることができます」

 カナダのモントリオール大学で内科学とリハビリテーション学のインターン、ジェラルデイン・ジャケミン医師が、当病院で2週間にわたるボランティアを体験。彼女は、【ボランティア・サービス・オーバーシーズ】(VSO)所属の物理療法士であるスコットランド出身のポーラ・オニール氏とともに、当病院外科スタッフのためにリハビリテーションに関する研修会を開催してくれました。ポーラ・オニールさんは、ご自身の勤務時間を、当病院と米国赤十字との半々に分けて働いておられます。

 ジェラルデイン医師は、ご自身の感想を次のように披露してくれました。
「みなさまの治療への献身ぶりと、高い志に感銘を受けました。特に驚いたことは、医師、看護婦、物理療法士、放射線技師、検査技師ほか、地方出身の医療スタッフの研修に最も力を入れていることでした。それは、重要かつきわめて必要な、難事業だからです。発展途上国が切望しているのは、機器の寄贈だけでなく、スタッフの教育なのです。教育には膨大な時間がかかりますが、その国の将来をしっかりと支えるための、最も大切な投資なのではないでしょうか」


「危機一髪!巨大な癌性甲状腺腫による窒息から生還」 リー・エンさん
 リー・エンさんは、プノンペンから5時間ほど離れた地方出身の青年です。ここ1年ほど甲状腺肥大を患っていましたが、治療費が払えないため、放置していました。来院の一週間ほど前から、肥大した甲状腺が気管を圧迫、激しい呼吸困難が起き始めたといいます。

 ついに窒息により脳への酸素量が激減、昏睡状態に陥ってしまったエンさんを、両親があわてて当病院へ運び込んだのです。救急治療室で、麻酔3 シアヌーク病院レポート担当のロン看護士が直ちに呼吸管を挿入して気道を開き、酸素吸入を図りました。状態が安定したところで超音波診断を試みた結果、大きなガン性甲状腺腫を確認。急遽、気管切開手術の準備が始まりました。
 エンさんは手術後は順調に回復し、約2週間入院。その間、本人と家族に対して、気管切開後の養生について説明が行われました。そして今年1月に再来院し、ガンの切除手術を受けました。手術は無事成功、術後10日で退院となりました。私たちは、この二十歳の明るい青年の脳に酸素欠乏による後遺症が残っていないことを確認して、安堵したのです。

 エンさんは、うれしそうに微笑みながら、次のように語っていました。
 「私には兄弟が5人、妹が一人いて、極貧の生活でした。家族を養って兄弟を通学させるために、母を助けなければならず、私は小学校も2年までしか行っていません。昼夜なく働きつづけていらっしゃるスタッフの皆様の看護と投薬のお陰で、死なずにすみました。」

次のレポート