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2000 8
マンスリーレポート
コレラと食中毒禍での活躍

 先般勃発したコレラと致死食中毒禍は、プノンペンを恐怖の底に陥れました。こうした状況下において、当病院は迅速な対応により、公衆衛生部の官僚への告知に重要な役割を果たしました。

 この食中毒事件は、近隣地区で販売されている酒の度数を上げるために有毒物が使用された結果、400人以上が中毒に罹り、71人が死亡するという大惨事になったものです。当病院に搬送されてきた患者のうち数名は、重症のため手当てが及ばずに亡くなりましたが、当病院スタッフは毒物は最近の事件で使われていた殺虫剤ではなく、メタノールであることを確認。スタッフは対応処置としてエタノール(飲料用アルコール)の投与が必要であることを直ちに厚生省公衆衛生部に通知したところ、当病院や他病院の患者数名は一命を取りとめることができたのです。現在、製造元が追求されています。

 また、先般のコレラ禍は、劣悪な衛生環境下で生活し、栄養失調に罹っている人の多い最貧困地区の人々を直撃したため、いっそう悲惨な事件でした。コレラ患者は急激な衰弱と極度な脱水症状におちいるため、大量のIVを投与しなければなりません。幸い当病院では、寄贈されたIV液に十分な余裕があり、また剰余分は重症コレラ患者の治療のため他の医療機関へ提供することができました。
 私たちが厚生省へ連絡したことにより、プノンペンの他病院へ警告書が発行されました。この結果、事態の早期認識と対応が実現し、多くの命が救われたのです。

患者の物語
サリーさん
 サリーさんは、市場の魚屋さんでしたが、収入は7歳と8歳の子供を食べさせていくのがやっとでした。

 「夫は失業中なので、学校にやる費用もありません。ときどき、安い酒を買って呑んでいました。その酒の中に毒がはいっていたのです。ひどく苦しく、死ぬかと思いました。この病院がなかったら、どうなっていたことでしょう。本当にありがとうございました」
 と、サリーさんは涙を浮かべて喜びを語っていました。

サオ・ソウンさん
 ソウンさんは、コレラの典型的症状である嘔吐と激しい下痢に襲われ、救急治療室に運ばれてきました。コレラは極度の脱水症状とショックを引き起こすため、3時間で死に至ることもあります。彼女も、危険な低血圧に陥っており、救急治療室スタッフは即座にIV管を2本接続しました。わずか1時間半の間に、5リットルものIV液がソウンさんに注入されたのでした。

 ソウンさんは、内科病棟に収容され、抗生物質の投与を受けました。担当看護婦には、投与IV量が適切であることを確認できるよう、血圧、尿量、下痢量を監視し、医師に知らせるよう指示されました。カンボジアの多くの他病院では、看護婦の訓練ができていないために、多くの命が救えるにもにもかかわらず、このモニターができないのです。液量が不十分だとショックや腎不全を引き起こし、死を招くこともあります。一方、過剰投与は、肺に危険な水分貯留を起こします。ソウンさんは、症状を抑えるため初日に11リットルを必要としましたが、その3日後には普通に飲食ができるまでに回復したのでした。


コイ・ハンさん
 ハンさんは、『アジア僻地診療』所属の当病院スタッフにより、運ばれてきました。川ボートでしか近づけない辺境地区への週例往診の際に、この46歳の農夫がひどい状態にあるのを発見したのです。彼の左手と左腕は激しい感染に冒されており、特に小指と薬指はほとんど壊死状態でした。いくつかの植物を調合した伝統医薬に頼っていたようですが、緊急手術するしかない状態に悪化させただけだったようです。

 入院後、ただちに手術室に収容されたハンさんは、感染部分の全切除を受けました。
 プノンペンから遠く隔たったこの村の住人のほとんどは極貧状態にあり、アクセスできる医療の関心はほとんどなく、ひどい食生活を送っていました。彼の入院中、その手の重い感染は、実際には結核が原因であったことが判明。結核のために感染に対する抵抗力が落ち、さらに糖尿病を併発していました。そして、バクテリアが露出した慢性疥癬の患部から手に侵入。栄養失調、結核と糖尿病で衰弱しているために、急速に手に広がった感染に抵抗できなかったようです。

 内科および外科チームは、彼の合併症状が平癒することを確約しています。ハンさんは2本の指を切断せざるを得ませんでしたが、いずれ左手の残りの指は使えるようになるでしょう。
 インタビューに答えて、彼の奥さんは、
 「夫を昼夜なく介護してくださった医師、看護婦のみなさまに心から感謝申し上げます。私は米を買うために野菜を売らなければならず、夫に付き添うことはできませんでした。8人の子供を育てるのに十分な米を買うために、5,000リエル(約1,30ドル)ほどを一日に稼いでいます。看護婦さんたちは、夫のために食料を買ってくれたりまでしました。彼女たちは、私たちのような貧しい家族をも、とても心優しく看護してくれました」
ハンさんは
 「この病院がなければ、手を失い、何もできなくなっていたと思います。病院スタッフは、患者を本当に手厚く介護して下さっています。スタッフのみなさまにとても感謝し、幸せを感じています」

スタッフの横顔
ミエコ・モーガンさん
 ボランティアの看護婦として、7カ月間にわたり当病院に勤務されたミエコさん。彼女の教育にかける情熱と臨床経験は、大きな影響を残しました。
 ミエコさんは日本で看護婦研修を終えた後、ハワイや米本土の大規模な研修病院に勤務、運営、医療、外科、救急治療、外来診療などの分野で幅広い経験を重ね、これが優秀な指導者としての礎になったようです。病床看護に対するミエコさんの情熱により、看護婦研修プログラムが大きく改善され、特に担当下の看護婦たちは彼女の臨床上の専門知識に多大な恩恵を受けました。ミエコさんは、今月当病院を離れ、北方へ6時間ほどの距離にある地区の新しい整形外科病院で夫と共に勤務する予定です。カンボジア人看護婦の教育にも引き続き携わります。
  ミエコさんが発たれることは大変残念ですが、新天地での更なるご活躍を心からお祈りしたいと思います。
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