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2001 3
マンスリーレポート
さよなら薬剤師マリアン・バルヌエヴォさん

さよなら薬剤師マリアン・バルヌエヴォさん

  主任薬剤師であり薬局部長であったマリアン・バルヌエヴォさんが、7月6日に母国フィリピンへの帰国の途につきました。彼女は、1996年11月にホープ・ワールドワイド独自の多国籍チームの一員として選任され当病院に赴任、完工したばかりの建物を、機能する病院に変貌させるために尽くしてきました。カンボジアの貧しい病人たちの多大な需要に応えたいという本人の強い希望で、マリアンさんは新しい薬局となる予定の、空の埃っぽい部屋と直面することになります。そこには、わずかな一般的薬品が箱に入ったままあるだけでした。スタッフもおらず、棚も、機器も、家具もありません。彼女は、1日に何百人と訪れる患者の需要を満たすべく、右も左もわからない未知の国で、限られた資源で効率的な薬局を創りあげなければならないことを認識したのです。

 マリアンさんと当時の院長グラハム・オグル医師は、必要とされる医薬品のほとんどを英国の高品質、総合医薬品供給業者から入手する手配に成功。そして彼女は、なお不足する他の多くの薬品を、地元の業者から供給してもらえるように尽力したのでした。棚の制作を発注し、地元スタッフを採用し、家具を購入し、米軍から寄贈された多くのベッドサイドテーブルを使って仕事場を創り上げていったのです。出入りする医薬品のオーガナイズと棚卸しを実施し、また地元スタッフを国際レベルに育てるべく、あらゆる教育と指導に明け暮れました。さらにマリアンさんは、議定書、マニュアル、ガイドラインなどを整備して機能的な外来薬局をつくりあげ、1日に500人に処方できるまでになったのです。

 1997年7月のカンボジア暴動の際に、マリアンさんはフィリピン大使館に帰国を勧められたにもかかわらず、カンボジアを救いたいという強い意志でプノンペンにとどまりました。のち、新設された内科病棟のための入院患者用薬局システムを構想するために、看護スタッフと協力して働くことになります。さらに、手術室や外科病棟のオープニング、また麻酔監視にあたっては、外科医や看護婦と協力を重ねました。そうする間にも、マリアンさんは休むことなくカンボジア人薬局スタッフの研修指導をつづけ、新たな議定書やマニュアルの作成に励みました。この結果、着実に能力を向上させていった部下のスタッフに薬局の運営を任せられるようにまでなり、マリアンさんの帰国も可能になったのです。
 この感動的で困難な体験を通じて、マリアンさんは休むことのないハードワーク、優れた技能、指導への熱意、強い誠実さ、貧しい人たちへの哀れみと静かな決意を持ち続けました。部下全員が彼女を慕い、自分たちへの彼女の絶大な献身に深く感謝して、別れを惜しみました。

 薬局部にとって、マリアンさんの支えなしに機能し、発展を遂げるることは、大きなチャレンジとなるでしょう。病院の全スタッフが、彼女の喪失を残念に思っていますが、彼女が残してくれた財産は、決して忘れられることはないでしょう。マリアンさんの新しい旅立ちを心から祝福し、そして深い感謝と愛をささげます。
 薬局部は、今後、ネアン・モムさんとテイー・ソクさんの二人の主任薬剤師がマリアンさんの後継を務めます。私たちは彼らの進歩をたいへん誇りに感じ、またこの大切な部門が地元のカンボジア人エキスパートにより運営されることを大変うれしく思います。ソク・Yさんとモムさんのすばらしい成長を祝福いたします。


看護婦研修

 液体と電解質との平衡についての知識を深めるべく実施されてきた看護婦研修ですが、前回は心臓および神経の両機能に対するある種の電解質の作用をテーマとなりました。血液中には、ナトリウム、カリウムおよび塩素などが電解質として含有されています。

 当病院患者の多くは、慢性心疾患のために心機能が衰えています。電解質の不均衡は患者にとって致命的となることもあり、兆候や症状の早期把握が救命には必須です。
 最近の症例では、救急治療室に運ばれてきた少女が下痢による激しい脱水症状を呈しており、心機能に影響の大きいカリウム値も危険レベルにまで低下していました。ただちに脱水状態についての精密検査とカリウム補給措置がとられました。しかし、来院時までに病状が激しく進行していたために手遅れとなり、残念なことに彼女は救急治療室でなくなりました。この症例は、このテーマについての看護研修の重要さを示しています。

 その後、当病院に心臓デフィブリレータおよび心臓モニターが寄贈され、これらの機器の作用メカニズムや使用が必要となる各種の臨床状況について、看護スタッフを対象にした説明研修会が行われました。
 この研修会の後、二人の救急治療室内の患者が心機能の悪化を示す高心拍の症状を呈しました。両患者とも、投薬では瀕脈を是正できず、カーデイオヴァージョンを同期化するための心臓デフィブリレータにより、危機を脱したのでした。もしこのときに、機械が使用できる状態になければ、二人の患者は確実に絶命していたでしょう。こうした医療機器がどのようなメカニズムで機能するのか、なぜ患者がカーデイオヴァージョンを必要とするのかについて研修で得ていた知識が、担当していた看護スタッフの絶大な助けとなったのでした。カンボジアでは、こうした機器が医療現場で使用できるというのは、非常に貴重で希なことなのです。

患者の物語
エン・サリーさん
 エン・サリーさんは、30歳の母親で、動悸と呼吸困難を訴えて当病院を訪れました。低血圧と高心拍数が検知され、心電図は危険な異常波形を示しています。ギリアン・ホール医師は、何種類もの適切な投薬を試みましたが、どれも心臓の波形を正常に戻す効果はありません。血圧は下がり続けていたため、ホール医師は、心電系を調整するためにデフィブリレータを用いた救急電気ショックを与えました。この処置が見事効を奏し、波形は正常に戻り、血圧も回復して、生命の危機を脱することができたのでした。患者は病院で3日間投薬をうけて安定し、家庭でも順調に回復しています。

 サリーさんの命を救ったこのカーデイオヴァージョン機は、カリフォルニアのフィシオコントロール社から寄贈していただいたものでした。同社のご厚意に、改めて深く感謝した次第です。シアヌーク病院は、これからも、投薬や各種技術が適用されている患者に対する監視を徹底することを通じ、カンボジア人医師や看護婦を研修を継続してゆく所存です。


ヴァン・ソファリーさん
 ヴァン・ソファリーさんは、かかとと足首がひどい長期感染で冒されていました。12年前に木から落ちて足首を露出骨折したといいます。地元の病院で手当てを受けましたが、患部は慢性的に感染物質を分泌し、治りませんでした。X線診断により、足首と踵の骨の大部分が感染により侵食されていることが判明、やむなく右脚の膝下からの切断手術が行われました。傷口が完全に癒えた後、キーン・クレアン・リハビリテーション・センターにて、義足装着の処置が行われる予定です。その間、松葉杖の使い方と、膝関節の訓練を行います。

 【キーン・クレアンは、当病院が緊密な協力関係を築いているベテランズ・インターナショナル(V・I)が運営するリハビリテーションセンターです。ここは、車椅子、膝下あるいは膝上義足、松葉杖などを自前で製作できる能力があり、それらを無料で下肢切断患者に提供しています。シアヌーク病院は、他の障害者支援NGOとの関係構築に多大の努力を重ねてきています。そうした機関は、切断基部の再検査、湾曲足の矯正、ポリオによる腱弛緩などへの対応手術を要する患者が発生したときに、当病院に治療を依頼してきます。数週間前に訪れたベテランズ・インターナショナル理事のラリー・ワレン氏は、当病院がオープンしてからわずか1年あまりの間に遂げた急成長ぶりに深く感銘されたご様子でした】


ホン・チュナハさん
 ホンさんは、1991年戦場で兵士として従軍中に地雷を踏み、両脚に重傷を負いました。右脚は切断を余儀なくされ、左脚は医師団の懸命の処置にも関わらず回復が思わしくなく、動かせない状態が続いていました。やむなく1998年2月に彼は左脚の切断も決心し、この結果、両脚に膝下義足が装着されることになったのです。2、3週間後、切断部を覆う柔組織の不足による痛みが始まったため、義足を彼に提供した米赤十字を介して当病院に移送されてきたのです。入院後、切断基部の再検査を実施したのち、骨を削って若干短くし、クッションとなる筋肉が骨端を十分に被覆する措置を講じました。こうして患部は順調に回復し、まもなく新しい義足が装着される予定です。もう一度歩けるようになりたいという長い間の彼の念願が、今かなおうとしています。
スタッフの横顔
ラッセ・ソルヘイムさん
 病院オープン時からのスタッフであるラッセさんはノルウェー出身の麻酔担当の看護士で、他のNGOのプロジェクトで働くご夫人と共に、2年前にカンボジアに移ってきました。彼の任務は、救急治療室でのボランテイア看護士として、救急治療室における日々の手術の補佐やカンボジア人看護婦に対する研修プログラムなどの担当から始まりました。その後、1997年4月に当病院の正職員として採用され、いずれ手術室や外科病棟の開設が実現すればそこで麻酔看護士として勤務したいと希望していました。内科病棟開設時にはそちらに派遣され、またその間も看護研修プログラムの中心的役割を担い続けてきたのです。

 ラッセさんは、カンボジア人看護婦の教育に大きな成果を挙げられました。基本看護技術、看護査定そして看護手順などから、優先度決定や重態患者に対する介護まで指導。彼は外科部の発展にとっても、なくてはならない存在でした。カンボジア人同僚たちと協力して看護婦たちに麻酔学についての研修を続けたラッセさんは、技術面でも卓越した能力をお持ちで、機器を私たちの要望に適合するように調整してくれたりもしました。そんなすばらしい才能を持つラッセさんともお別れの時が訪れています。この病院に優れた技術と情熱をもたらし、同僚からも尊敬され、患者に対してもつねに全力で尽くしてこられたラッセさん。8月末に当病院を去り、ノルウェーに帰国されます。病院スタッフ全員が、彼との別れを心から惜しんでいます。
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