結核診断・治療が公衆衛生の生命線
開院以来5年以上が過ぎ、ワールドメイト・ビルディングは、カンボジア随一の貧困者救済無料病院として、生命救済の使命を果たしてきました。厚生省は、シアヌーク病院を、直接監視治療短期プログラム(DOTS)により患者を診断治療できる、第一の私的/NGO国立結核管理機関として認定しました。DOTSプログラムは、国家がイニシャテイブをとって運営し、カンボジアにおける結核の罹病率、死亡率及び感染を抑制るために活動しています。
世界保健機構(WHO)によれば、カンボジアは世界最大の結核感染国の一つです。確認されただけで約2万人、あるいは10万人に540人の割合で患者がいるとされています。検査機関へのアクセスが欠如しているため、発見されているのは54%のみと査定されています。
毎月数千人にのぼる外来患者のうち、60%は地方から訪れた人々ですが、そのうちの8%は結核に感染しています。以前は、これらの患者には他病院を紹介しなければなりませんでした。しかし、2年間にわたる追跡調査の結果、紹介した患者のうち指示された治療を受けているのは44%にすぎないことが判明しました。
このたび当病院内に結核クリニックがオープンしたことにより、結核をその場で診断治療できるようになりました。当病院のDOTSプログラムによって、貧困患者に対して提供している医療範囲が更に拡大され、またカンボジア人スタッフに新しい研修の機会を与えることにもなりました。木村京子医師の尽力により設立されたこれらのプログラムは、現在リン医師を助手としたソフィーク医師のリーダーシップで実践されています。
最先端HIV治療を世界に発表
ネイビー医師は、『HIV/AIDSと生きる人々の治療モデル』(副題:カンボジア・プノンペンにおける病院からボランティア、家庭介護チーム及び支援グループへのPLWHAに対する教育・治療統合プログラムの開発)に関する論文を発表しました。アジア太平洋第6回国際エイズ会議において発表されたこの論文は、HIV/AIDS部副部長としての彼女の実績に基づいたものでした。この研究発表には、プレム・プレイ・スオス医師と地域活動ボランティアのコーディネータであるチャベリット・ヴァトダーナさんの支援を受けています。過去5年間、80人以上のボランティアが最貧地区及び、市内の低資源病院の約36000人の患者を訪問しています。
プレム・プレイ医師とルット・リネン医師は、当病院の支援グループ及び家庭介護患者に対する抗レトロバイラルセラピーの使用についてのポスターを発表しました。両医師のメッセージの結論は、1.悪摂生である場合、2.支援(介護)者が貧困である場合、3.治療の中断(多くは経済的困窮により)が起こり得る場合…には、このセラピーは不適切である、というものです。当病院の統合HIV/AIDSプログラムは、貴重な資源を最も効率よく選択的に使用可能としています。
アントワープ熱帯医学研究所が研究資金を援助
1999年から当病院に勤務されているベルギー人内科医であるルット・リネン医師は、彼女がカンボジアに来る前の勤務先でもある、アントワープ熱帯医学研究所との共同研究についての検討を始めました。彼女が前の同僚を訪問した際、当病院での業務に関する発表をしたことが、研究所所長を触発したのでした。所長は、貧資源環境下においてHIV/AIDSと共に生きる患者のための臨床治療に焦点を当てたHIV/AIDS研究プロジェクトに資金援助したいと提案されたのです。このプロジェクトは、熱帯医学研究所とベルギー国際協力事務局との間で結ばれたより大きな骨組みでの合意計画の一要素として受け入れられることになったのです。
2001年1月以来、このプロジェクトは、当病院のHIV患者の検査費用、ルット医師の給料、HIV部の2人の主任内科医2人や運営支援スタッフの給料、医療研修経費をまかなっています。初年度の予算$100,000は、2年目には倍増される予定になっています。
これは、双方が利益を享受できる研究財政支援の例です。この学問研究所は、貧資源環境に関する研究を推進することを喜びとしています。発展途上国におけるパートナーである我々は、既存プログラム運営のための、追加財政支援を受けられることになり、深く感謝しています。
さようなら 木村京子医師
今月は、東京からお越し下さっていた、木村京子医師にお別れを申し上げなければなりません。彼女は公衆衛生学の修士号取得のために、日本へ帰国の途につかれます。
木村医師は、2000年4月に当病院に加わり、内科病棟と救急治療室の監督としての役割を果たされてきました。一九九五年に筑波大学医学学群を卒業される前から、発展途上国で働きたいという希望を抱いていたそうです。東京の都立墨東総合病院での二年間のインターンと三年間の常勤内科医としての経験により、感染病医学の基礎を学ばれました。これは、特に当病院の結核治療の分野においてすばらしく有益なものでした。
最近では、彼女は当病院での新しい結核クリニック開設のプロジェクトの中心的な存在となっていました。このクリニックは、国立結核プログラム機関に認定を受けており、カンボジアの厚生省及び結核・らい病管理機関と緊密な連携をとってゆくことになっています。
「このシアヌーク病院の偉大な業務の一部を担うことができ、病院とスタッフのみなさまの成長を目の当たりにできたことが幸せです。みなさんの旺盛な向学心にはとても刺激を受けました。私自身、人間的にも職業的にももっと成熟しなければと思ってきました。私の夢は、公衆衛生に関してもっと深く学び、お手伝いを継続してゆくことです。」
木村医師は、遠隔の日本からですが、結核クリニックの業務を引き続き担われてゆきます。私たちは、彼女が定期的にカンボジアに戻り、当病院のクリニックや他の公衆衛生プロジェクトに助言してくださることを期待すると共に、ご自身の生涯を医療の発展のために捧げたいというお言葉に勇気づけられています。 |