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25年間にわたる社会不安が、教育や医療、政府機関と社会インフラを破壊しました。
その結果が、貧困・栄養失調・教育の貧困、貧苦と疾病の悪循環なのです。
シアヌーク病院は、信頼できる医療を無料で提供することにより、
この悪循環を断とうと努力してきました。
従って私たちは、医療ニーズに対応するだけでなく、次世代の医療専門家に慎重な臨床訓練を行うことができるよう、カンボジアの人々に教育のチャンスを提供することを目標にしています。
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東南アジア中部、インドシナ半島の南東部に位置する国。面積18万1,035平方キロ。
タイの入江とベトナム半島の間、北はラオスやタイと接する国土に、1,140万人の国民が生活していました。主要水路には中国から続くメコン川や、トンレサップ湖の豊かな漁場に水を送り続けるトンレサップ川があります。首都プノンペンは、かつて「アジアの小パリ」と呼ばれた都。(1996年現在)
内戦の痛手を蒙ったこの地で、
シアヌーク病院は活動を始めました。 |
西 暦 |
出来事 |
800年 |
400年間のアンコール帝国に続く700年間の衰退 |
1863年 |
フランスの植民地支配 |
1953年 |
シアヌーク王が90年に及ぶフランス植民地支配より独立を確立し、15年間の統治を行う。 |
1969〜75年 |
ベトナム戦争がカンボジアに飛び火し、社会経済の困窮と、国境付近での動乱が起こる。難民や流出した人々が、共産主義のポル・ポト部隊に参加。ポル・ポト派が地方を掌握、続いて1975年4月にプノンペンを制圧した。 |
1975〜79年 |
ポル・ポト派が支配し、教育を受けた人々の大量殺戮を行う。すべての機関の壊滅、残虐かつ過激な強制労働による農業改革。死者200万人。 |
1979〜91年 |
ベトナム軍がカンボジアに侵攻、ポル・ポト派を追放し、11年に及ぶ占領状態となる。 |
1991年 |
パリ包括和平協定により4派が和平合意。 |
1992〜93年 |
総選挙を国連が支援。 |
1993年 |
選挙および2政党連立の不安定な合意。 |
1998年 |
総選挙 |
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