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1999 4
マンスリーレポート
カンボジア王室のサポート
カンボジア王室の心強いサポート

 カンボジア王室が、在カンボジアの前日本大使およびキムラ・エミコ氏に対して、日本ロータス財団からの寄付金$5,000 を当病院のために活用することを提案、これが快諾されたとの朗報が届きました。
 キャメロン医師とキアラ夫人が、病院代表として王宮での寄付金授与式に参席いたしました。王妃は、シアヌーク病院スタッフの献身を労われ、シアヌーク国王の代理として『貧しい人たちの救済のために多大な貢献をされている病院スタッフの皆さまに、深甚なる謝意』を表されました。
 アジア近隣諸国から学んだ教訓を生かし、このような状況に歯止めをかけるには、政治的な断固たる対策と協力が不可欠です。次のような活動を根付かせて予防措置を講ずるために、財政的および技術的援助が求められています。たとえば、学校および高危険度に晒さらされる職場におけるエイズ啓蒙教育やコンドーム使用の普及などです。若干の抗ウィルス薬も販売されていますが、ほとんどの人々は貧困のために手を出せないのが実状です。

 シアヌーク病院は、生命に関わる救急医療から、精神的、社会的援助そしてカウンセリングまで、あらゆる分野にわたって幅広い治療と支援を提供している、カンボジアで唯一の病院です。その活動が、カンボジア人の生活、家庭や地域社会におけるこの難病に対する認識を大きく向上させてきたと自負しています。そして、その機会を与えてくれたのが、市内や地方から日々来診に訪れる多数の患者たちだといえるでしょう。


国際整形外科会議で講義

 当病院理事兼、外科部長のグラハム・ガムリー医師は、4 月に開催された国際整形外科学会で、地雷犠牲者について発表、注目を集めました。この学会に集った85 ヶ国から総勢4,000 名の整形外科医は、日本から 500 人、フランスから300 人、その他アメリカ、イギリス、インドから多数、また他の小国からの出席者もありました。ガムリー医師は、整形外科機器見本市に参加した約1,000 名の業者のうちの数名と、当病院が必要とする備品について話し合う機会を得ました。

 特に、道路での地雷被爆による負傷者についての研究が、発展途上国における同様の負傷者増加を反映し、著しい注目を集めました。また義手・義足に関する最新の研究結果について議論が交わされ、特に発展途上国で使用するには、かがんだり、膝を曲げたり、床に座るために、相当な膝の可動性が必要になることが指摘されました。
 ガムリー医師は、地雷負傷者の治療手術や術後の問題について、スライドを用いて発表。地雷犠牲者のうち、30 %が女性や15 歳未満の子供であり、子供たちの治療には外科再修復の手術が必要になることが少なくありません。
 そしてシアヌーク病院は、貧困者や病人に対して外科治療を実施できること、かつそれと平行して義手・義足製作やリハビリテーションに携わる組織を支援していることが強調されました。


外科およびHIV 研修の支援

 ボストンのルエットガーズさんご一家から、当病院の外科研修プログラム継続に対して賜りました財政支援に、厚くお礼申し上げます。彼らの尊い善意によって、当病院の3 名のカンボジア人外科医、チャンタ医師、ポット医師、モーニー医師の研修を進めていくことができます。
 彼らは、客員ボランティア外科医たちの指導のもとに、最先端の外科技術を駆使して、患者との相談、観察、そして治療をする貴重な機会を得ました。その技術は、手術時の切開量を少なくして回復期間の短縮に寄与でき、多くの貧しい患者たちにとって、大きな福音となることでしょう。

 さらに、この寄付によって、HIV/エイズ部のカンボジア人内科医ソク・フォーンさんの支援、並びにネイビー医師のHIV 部への招聘が実現できます。ネイビー医師は、当病院に加入する前に、カンボジア赤十字 HIV/エイズグループ啓蒙プグラムと緊密な協同作業を経験されており、勤務時間の8 割をこのHIV 部門に、残り2 割をこれまでの救急治療室での活動に費やすことができることになり、ご本人も大変喜んでいます。これによって、他の非政府組織や政府プログラムとの提携も進めて、地域予防活動や治療任務でさらに充実した成果が期待されます。


HIV/エイズ予防ビデオ

 カンボジアでのHIV/エイズ感染率の上昇を抑制する最も効率よい方法は、予防に尽きます。当病院のHIV/ エイズ部のソック・フォーン医師は、国連開発プログラム(UNDP )の資金援助によるエイズ予防に関する短時間ドキュメンタリービデオの製作を熱望していました。シアヌーク病院で受けた治療に感謝している多くのエイズ患者は、地域でボランティアとして活動してくれるようになり、毎日、エイズと共生していく挑戦のドキュメンタリーにすすんで出演してくれています。


救急治療室におけるボランティアアシスタント
マイク・レイノルズ医師が救急治療室を応援

 マイク・レイノルズ医師が、救急治療室に3 週間にわたってボランティアで応援に駆けつけてくださり、その貴重な経験をスタッフに伝授してくれました。また、彼のおかげで、スタッフが休暇をとることができました。マイク医師は、現在コロラド大学デンバー健康科学センターのファミリー・プラクティス・レシデンスの2 年目を終了するところです。彼は、ボランティアとして満たすべき役割の指示を受け、それを理解するのに一週間かかったと言います。しかし、救急治療室のカンボジア人内科医は、患者の診断や治療計画を進めていくための思考経路について指導いただいたことを、とても感謝していました。

 「私は、友人や同僚の心温まる援助を受けて、このカンボジアに来ることができました。自分が受けた教育を、病に苦しむ人たちのために活かしたいと熱望していたのです。そして、カンボジアでの医療の欠乏や、当病院の膨大な需要を聞いて、ぜひこの病院で患者のために尽くしたいと願ってきました」

 「患者さんたちは本当に貧しくて、深刻な症状であるにもかかわらず、大変感謝されています。私はここで医学的にも、またリーダーシップやチームに貢献することなどについても、多くの事を学ばせていただきました」
 トレーシー夫人、そして18 カ月になるお子様と離れて、絶大な貢献をしてくださったマイク医師に、心から感謝をささげます。

患者の物語
ジェーム・ムースさん
 ジェーム・ムースさんの病気は、発展途上の医療システムに頼るカンボジアの医療にとって、大変な困難を伴う治療を必要とするものでした。
 発病当初に他病院で受けた治療が不完全で、カルテの記録も不十分だったため、シアヌーク病院に到着するまでは病因は不明でした。
 若干21 歳のムースさんは、最初、数日間にわたる錯乱、頭痛と高熱に苦しんだのち、地元の病院を訪れました。そこで髄膜炎と診断され、抗生物質の投与を受けたようです。

 彼が激しい頭痛と嘔吐により当病院に収容されてきたとき、この部分的な抗生物質治療を受けていたために、生体脊髄穿刺でも、結論が得られませんでした。著しい腹部の硬化が認められ、チフス熱が疑われました。この可能性ある疾病双方をカバーできるよう抗生物質の適量投与を施したところ、少しずつ回復のきざしが表れました。その11 日後に無事退院となり、妻子を養うためにまた働けるようになったのです。

 退院前に、彼の母親は次のように語っていました。
 「この病院がなければ、息子は死んでいました。彼は、建設労務者として一日に5,000 リエル(約$1.7 )しか稼げません。私たちは、とても貧しいのに、こんな優れた治療を受けられて、幸せでした。本当にありがとうございます」


ネオウ・ソーファルさん
 ネオウ・ソーファルさんは、38 歳の5 児の母でした。首にできた塊が18 年間にわたって成長をつづけ、巨大な腫れ物となって疼痛や倦怠を起こし、睡眠の大きな障害になってきたそうです。検査の結果、甲状腺がいくつもの結節を生み、激しく肥大していることが判明しました。

 カンボジアでは、慢性的なヨウ化物の欠乏により甲状腺肥大を患う女性が多く、男性にも少数ですが発生しています。多くの国では、この症状は塩にヨウ化物を添加することにより解決できますが、ここプノンペンでは、それは非常に高価で、手を出せないのが実情です。甲状腺の肥大がこの症例のように過度に進行している場合には、ホルモン分泌に必要な最小限を残し、甲状腺の除去手術をするしか方法はありません。

 インタビューで、ソーファルさんは、夫と営んでいる果樹園から得られる収入では、子供たちを学校に行かせるだけで、精一杯だったとのこと。彼女は毎日伝統的な民間薬を服用していましたが、首の塊は大きくなるばかりで、激烈な頭痛に悩まされてきたといいます。
 「皆さんに助けていただいたことを、本当に感謝しています。この病院に来れなければ、私はこの首の異常な腫れが一生続いていたでしょう。夫も私も、このような病院はいまだかつて知りませんでした―素晴らしい治療を無料でしてくださり、お医者さんも看護婦さんも、患者さんたちを助けるため一生懸命に尽くしてくださる病院は……。いま、帰宅しておしゃれなシャツを着られることが嬉しくてたまりません。もう、他人にじろじろ見られることもありませんから」夫のモエウンさんは、嬉しさを滲ませて、次のように語っていました。

 「妻の病気を治していただき、そして私と家で待つ子供たちにとって美しい妻に戻してくれたこの病院のスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。とても幸せです。心から感謝しています」

スタッフの横顔
キャシー・ピンゴイ医師
 キャシーさんは、1996 年末の当病院開院時にフィリピンから訪れ、当初から看護婦教育やチームワークの促進に大活躍してくださいました。以前の専攻分野は小児科でしたが、貧困患者に尽くしまた長年の自らの経験を伝えたいという強い希望で、成人看護を担当されました。
 看護婦としての任務に加えて、彼女は過去1 年半の間ずっと、9 人の清掃要員をまとめるハウスキーピングの仕事も任されてきました。様々な分野の需要に応えようとする彼女の柔軟性と意志は、救急治療室、内科・外科病棟における彼女の熟練した仕事ぶりに見いだせます。

 キャシーさんは、病棟での教授や研修、教室での講義に対する責任をもつ看護リーダーシップグループの中核メンバーになっています。彼女は、着任当初より、クメール語の習得にも熱心で、カンボジア人スタッフや患者とのコミュニケーションも円滑にできています。彼女は技術面でも、そして患者やその家族との交流面でも大変評判がよく、たびたび複雑な医学的状の説明を乞われています。
 キャシーさんは、まもなくフィリピンに帰国し、マニラで勤務しつつ、看護学の勉強を続けるそうです。一層のご活躍とご成功を祈りつつ、温かくかけがえのない人柄で我々のチームに貢献してくれた彼女との別れを惜しみたいと思います。

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