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2000 7
マンスリーレポート
要分野交流型研修

要分野交流型研修

 当病院の全部門を通じて、スタッフの医療知識の向上が著しいことが、月例研修会《グランド・ラウンド2000年》の場で明らかになりました。
 当病院のように重病患者の多い医療環境下では、一人の人間や1チームが単独で患者を治療することは、複雑すぎて不可能だといえます。《グランド・ラウンド》は、特定の病気の治療と患者管理について研鑚を深めるために、月例で行われている部門横断型の会議です。放射線部、看護部、外科部、内科部および検査室の各スタッフが集い、これまでに結核、HIV/AIDS、秘密保持、外傷処置、腎不全、胸部結核管理などをテーマに研修を重ねてきました。

 前回の「急性腹痛」をテーマにした研修会では、まずカンボジア人のチャンタ外科医が、虫垂穿孔を起こした患者の経緯を紹介。ついで一般外科のコーネリア・ヘーナー医師が中心になって、症状、検査および術前管理についての意見交換が行われました。放射線学のバナリス医師は、超音波診断やX線撮影で得られる情報は限定されていることを指摘し、質疑応答が行われました。

 この会議の最大の収穫は、病歴の記録と徹底的な臨床検査を実施することの重要性が認識されたことでした。これによって、再検査などに要する時間と費用を省くことができるからです。タイミングのよい効果的な治療の価値が明らかにされたといえるでしょう。


初めての外科「オープンハウス」が大成功

 カンポン・ソム県立病院の事業部長であるスレイ・シン医師とその手術室スタッフ5人が、当病院初の試みである外科オープンハウスを活用されました。教育的指導、独立した観察および相互交流などが一日かけておこなわれ、参加者たちは、シアヌーク病院外科チームの統合された組織力に驚きを表していました。ビジターたちは、技術的に優れた消毒方法、安全な麻酔、そして能動的指導プログラム、効果的な回復として病棟における看護ケアなどの要素についての議論に耳を傾けていました。

 シアヌーク病院は、医療専門家の教育ならびに臨床研修を、その重要な使命の一つとして掲げています。これはプノンペンのみに限らず、随時当病院外科スタッフは遠方の各県へ指導に赴いています。しかし、逆に地方病院の外科部スタッフが、一日費やして近代的で効率よいそして成功した外科プログラムを学ぶためにシアヌーク病院を訪れたのは今回が初めてです。
 このグループは熱意にあふれ、プロとしての高い意識をもち、そして向学心が旺盛でした。彼らはいま、当病院で学んだ成果を実践に移す機会を迎えています。

 アンケートには、次のような感想が寄せられました
『非常に有意義な企画でした。病院外科部を組織化し効率よく運営する方法を学ぶことができました』『正しい消毒の仕方、医師と他のスタッフとの間の良好な関係の維持など、ハッとさせられたことが多々ありました。医師の方々は自分の仕事に責任をもち、患者の病歴も見事に記録されていました』
 また、とくに彼らの病院との著しい相違として、当病院の清潔さ、自分の仕事に対する責任感、そして消毒方法を挙げた参加者もいました。


コン・プテアニー医師が放射線学会で発表

 当病院放射線部長であるコン・プテアニー医師が、4月に香港で開かれたアジア・太平洋診断・介在放射線セミナーに参加する機会を得ました。26の国々から派遣された250人におよぶ出席者が、外傷からまだこの地では実施できない最先端の技術までを網羅するトピックに耳を傾けました。
 「シンガポールでBRACCOから推薦していただき、会議に出席でき、光栄でした。ワークショップでの実践研修により、当病院の高周波機械を筋肉骨超音波診断に活用する手法を会得できました」
とプテアニー医師は語りました。



垂直棚の導入で倉庫効率が大幅に向上

 当病院のような医療施設を効率良く運営するには、IV液からX線にいたるまで8,000に及ぶ異なる品目を、いつでも取り出せる状態に保管しておく必要があります。
 アメリケアズ、ノースウェスト・メデイカル・チーム、オペレーションUSAほかの医療機器供給会社や組織が、これらの品目の大部分を寄贈してくださり、おかげで2年分の需要を賄える状態にあります。しかし、その保存性、アクセス性、空間占有効率をいかにして向上させるかは、倉庫スタッフにとって重大な課題でした。

 ソフォーンさん率いるエンジニアリングチームは、垂直棚システムの開発によって、見事この問題を解決してくれたのです。ブンリー、レアン、サンバ、セカさんを構成員とする彼のチームは、病院後部の防水布の陰で、今これらの大量の贈呈品を収容できるようにしてくれている支持台や棚を作成。手首副木、当病院の多くの栄養失調患者にとって命綱の高栄養粉末食品である300平方フィートの《Ensure》など、アクセス性が格段に向上しました。


歓迎!木村京子医師

 日本から木村京子医師が当病院に勤務されることになりました。心から歓迎申し上げます。
  彼女は、筑波大学医学部を卒業、現在日本内科学会の理事を務めていらっしゃいます。木村医師は都立墨東総合病院の伝染病部に勤務していた3年間に、2度当病院を訪問されています。内科部に所属されることになります。


ヨハンナ・レイナ医師を惜別

 ヨハンナ・レイナ医師は、8ヵ月間にわたって自らの時間と経験を当病院に捧げてくださいました。まもなく、アメリカに帰国の途に着かれます。ニューヨークのコーネル大学伝染病・エイズ部に勤務される予定です。
 ヨハンナ医師は、医師や看護婦の間でそのチームワークへの貢献が高く評価されていました。誰もが、彼女との別れを心から惜しんでいました。
 「貧困患者を助けるということの意味、そして医学や指導についてここで多くのことを学ばせていただきました。また、最も大切なことは、どれだけ知識があるかではなく、周りの人々にどれだけ配慮し、どれだけ心から尽くせるかということを教えられました」


管理技術研修会を開催

 部門横断による24人のスタッフが、リーダーシップ、管理能力、そして理解力を磨くための週例研修を始めました。この期間は、研修に力を集中するために、ニュースレターは隔月刊とさせていただきます。 最初の3回の研修は、当病院の誇る優秀スタッフたちの経験が披露され、貴重な学びの一時となりました。

患者の物語
「19歳の心臓病患者が平癒」 パット・レンさん
 チヌーク・リアムさんは19歳、8人家族の5番目の年長です。地方の村から2時間かけて来院しました。ここ1年間衰弱が激しく、農作業でも両親を手助けできず、そのために家族の生活も大変困窮していたそうです。

 救急治療室に運び込まれてきたとき、すでに重症のリウマチ性心臓病に冒されていました。幼少期に患った喉頭炎を手当てせずに放置したことに起因しており、それが村で罹った肺炎によって複雑化、この結果心臓弁が損傷し、血液が肺に向けて逆流を起こしていたのです。
 入院時、すでに重態で衰弱が進んでいました。呼吸を楽にするため、酸素吸入と利尿措置をとったところ、5日後には著しい回復を見せて、みな安堵しました。今後は、週に一度通院して治療を続けながら、自宅にて抗生物質の服用を続けることになります。

 心臓弁を交換する手術が必要でしたが、残念ながら、まだカンボジアでは実施できるところがありません。カンボジアでは心臓手術のできる病院はまだ一つもないのです。寿命を長く維持するには心臓手術が必須となりますが、当面の危機が回避されて家族は大変お喜びでした。

 「娘をいくつものクメール医学の病院に連れていきましたが、症状は日々悪化するばかりで、もう希望も失っていました」
と語る、53歳の農婦である母親のコーン・ソアさん。
 「無料で素晴らしい治療をしてくださったこの病院に娘を連れてくることができ、本当に幸運でした。すばらしいスタッフの皆様に心から感謝いたします。この病院は、心底から信頼することができました」

「闘病の意志と家族の献身がスタッフを感化」 チュン・サイダさん
  サイダさんは、15歳の少女で、プノンペンから90km離れた地方在住の7年生です。ここ2年間、他病院でいくつもの手術を受けてきました。最初は破裂した卵巣脳腫の手術、次に腸閉塞治療のための結腸切開手術を受けました。3度目の手術の後、腸閉塞が再発したため家族が当病院に運んできたのでした。

 外科チームは、腸の狭窄部分を1m切除する処置を含む広範囲の修復措置を要する緊急手術を実施しました。サイダさんはこの大手術を耐えて、順調に回復していました。ところが、組織学検査の結果、切除された腸の一部から癌細胞が発見されたのでした。卵巣がんが転移したものと思われます。
 家族は大変貧しかったため、前の病院では組織検査を依頼できず、癌の存在に気づかなかったとのこと。これは比較的高価な検査なのですが、当病院では外科患者の処置に必要な場合に実施しています。
 カンボジアでは、若者の癌発生率が非常に高くなっています。これには地方での栄養状態の悪さ、遺伝的要素、あるいは毒の影響などが起因しているようです。多くの国において、結直腸癌、膵臓癌や卵巣癌は年配の患者に多発しています。放射線治療ができるところが少なく、化学療法を実施している医療機関はわずかで、しかも多くの人々は治療費が支払えません。このため、外科手術が唯一の選択肢となっています。

 これからも闘病生活は続きますが、ご家族はサイダさんの延命が成功したことを感謝されていました。自転車タクシードライバーとして一日200円ほどの収入を得ているという父親は、
 「昼夜なく温かく介護してくださったスタッフのみなさま、娘を助けていただき、本当にありがとうございました。妻と私には、娘の治療に使える金も尽き、途方に暮れていました」
 と喜びを語りました。

グラハム・ガムリー病院長は、
 「お父さんがわが子を懸命に介護する姿は、すべての患者やスタッフの模範になるものでした。彼女の回復とご家族の献身は、全スタッフにとって大きな励みになりました」
と讃えました。

スタッフの横顔
カン・ナリンさん
 警備員および救急車ドライバーとして活躍著しいナリンさん。深夜12時から午前7時までのシフトで2年間働き続けるというのは、容易なことではありません。特に、生活時間帯の異なる妻と二人の子供を家に置いて、50分離れた病院に通勤してくる苦労は、察するに余りあります。

 しかしナリンさんの任務に対する誠実さは、病院のグラウンドや救急車に対するケア、そして急患やその家族に対する彼の心遣いに現れています。同僚からも、その正直さ、助言を乞うことを厭わない向上心、そして責任感の強さを評価されています。自分が必要とされればすすんで応えていこうとする姿勢がに、病院や他のスタッフに対する感謝の心が表れています。スタッフや貧しい人たちに対して、真心こもった対応で献身されているナリンさんを高く評価したいと思います。

レフ・メンさん
 病院の夜は静寂ですが、彼は各部署を必ずくまなく巡回し、スタッフや機器の安全確認を怠りません。病室の患者たちは養ったり世話しなければならない家族が見舞いにきていますが、メンさんは通りがかったときに、必ず彼らに声をかけたり励ますなど、優しい心遣いを示しています。彼のチームは、朝早く病院を訪れる患者たちのための準備にも見事な機動力を発揮しています。毎朝受診を希望して病院を訪れる500人以上の患者たちを取り仕切る朝勤スタッフを助けるアイデアを、いくつも提供してくれました。

 メンさんは、当病院スタッフの中でも最も分別ある職員といえますが、それでも助言を熱心に求め、向上心は衰える気配がありません。彼の患者や同僚スタッフに対する敬意や配慮は、高く評価されています。時間はきちんと守り、部下の指導に注ぐ熱意は、模範的です。
 彼のように責任感が強く献身的なスタッフを得たことは、当病院の大きな財産といえるでしょう。
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